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2008/07/12

■節子への挽歌314:初盆への準備

節子
お盆の季節です。
帰省の準備は進んでいますか。

わが家は旧暦でお迎えすることになっていますので8月がお盆ですが、九州の蔵田さんから供物が届きました。
関東のほうは新暦だと思っていたようですが、そういう人は少なくありません。
私自身は、こうした行事にはこれまであまり関心がなく、考えてみると周りで亡くなった方がいても、その時だけで、その後のことへの気遣いがなかった自分を恥ずかしく思います。
いざ自分が当事者になって、そうした心遣いの文化がきちんと残っていることを知ると、これまでの無関心さを改めて反省させられます。

日本の文化とか、人のつながりの大切さを口にしながら、行動はそれについていっていないのです。
どこかで「わずらわしさ」から逃げたい気持ちがあるのです。
「煩わしさ」と「支え合い」とは、コインの裏表ですから、支え合いをいうのであれば、煩わしさを疎んじてはいけません。
どうも私自身の言動には矛盾があります。
これまでは、その「煩わしさ」をほぼすべて節子任せにしていました。
それで私自身は、のびのびと都合のいいことだけを話し、良いとこ取りをしていたわけです。
節子がいなくなって、いかに節子が私を支えていてくれたかがよくわかります。
改めて頭が下がります。

その節子がいなくなって、たとえばお寺へのお布施をどうしたらいいかなどもよくわかりません。
そのあたりの常識が、私にはかなり欠落しているのです。
節子の日記などを読めばきっと書いているでしょうが、まだ読む気にはなりません。
それで手っ取り早く今回はお寺からいろいろと教えてもらいましたが、私一人だと不安なので、娘に同行してもらいました。
基本を踏まえながら、私たち風に取り組むつもりです。

それにしても、加野さんも蔵田さんも、妻を亡くした私以上に、いろいろと考えてくれているのではないかと思うほどで、反省させられました。
私自身があんまり信頼されていないのかもしれません。
あいかわらず修さんは口だけだね、と笑っている節子の顔が目に浮かびます。
決して口だけではないのですが、私はどうも面倒なことは「まあ、いいか」と手抜きしてしまう傾向が強いのです。
いえ、それが「口だけ」ということですね。
それに、死者を悼む儀式を面倒だと思うことは間違いですね。
はい、反省します。

初盆は、わが家の家庭菜園で採れたナスとキュウリで牛と馬をつくります。
提灯はどうしようかまだ検討中ですが、どうも葬儀関係のお店で売っている提灯はわが家の気分には合いません。
たぶん節子もきっとそう思うでしょう。
家族みんなでわが家風のものをインテリアショップなどで探していますが、なかなか見つかりません。
お墓からの迎え火の提灯は、なんとヴェネチアンガラスのランプが採用されそうです。
仏壇の前の提灯は、まだ見つかりませんが、100円ショップで購入してきた提灯を素材にしてわが家風にデザインする計画もあります。
初盆はご住職も来るので、あんまり羽目を外せませんが、節子の意向も踏まえて、楽しい雰囲気を創りだしたいと思っています。

まあ、そんなわけで、初盆の準備もそれなりに進んでいますので、節子も安心してください。

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