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2008/07/30

■壊れた社会の「常識」は拒否したい

この数か月、いろんな問題があったはずなのですが、いつの間にか議論も沈静化してしまった感があります。
後期高齢者医療保険も年金問題も、政権を揺るがすほどの騒ぎだった気もしますが、いつの間にかもうあまり騒がれなくなりました。
いずれも基本的なものは何も解決されていないはずですが。
まあ、そんなものなのでしょうか。

ガソリン値上げもいつの間にか慣れてしまいましたし、食材の値上げもまあ仕方ないかと言う感じです。
無差別殺傷事件をはじめとした不幸な事件も、集中豪雨などによる自然災害も、毎日のように報道されるので、一体どれがどれだか分からないような状況で、これまた感覚が麻痺してきたのか、さほど驚きません。
食品偽装も、またかと聞き流すほどになりました。

こうして日本国憲法はないがしろにされ、むしろ現実から見てそぐわないなどという本末転倒が何の違和感もなくみんなに受け入れられてきたのでしょう。
憲法すらないがしろにする国民ですから、私たちは実にたくましいのです。
きっとまもなく食品は偽装が常識、というような「常識」も育ちだすでしょう。
リサイクル産業が資源の無駄遣いを前提として成り立つように、セキュリティ産業は混乱した不安な社会を前提にして成り立ちます。
その因果関係が逆転するのには、そう時間は必要ありません。

政治家は嘘つきだという常識はかなり前に完成していますので、いまでは嘘つきが政治家になるようになってきていますが、同じようなことが食品業界にも起こるかもしれません。
無差別殺傷事件も、常識になるのでしょうか。
それだけは避けたい気もしますが、そのモデルは日本の国政にあるような気もしますので、いまのままではたぶん避けられないでしょう。
弱いものいじめの「無差別殺傷」は、この国の政府や官僚にとっては、もはや常識になっているのかもしれません。

常識の呪縛を忘れて、ちょっと視点を変えてみると、世の中のおかしさが見えてきます。
見えたからといって、たぶん良いことは何一つないでしょうが、自らが加害者になりたくないのであれば、おかしな「常識」に慣れてはいけないと、この頃、改めて思います。
被害者になるのは仕方ないとしても、加害者になるのは避けたいものです。

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