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2008/07/27

■節子への挽歌329:仕事の秘書としての節子

先日、節子の友人の長沼さんが来たときに、このブログのことが話題になりました。
同席していた娘のジュンが(彼女はこの挽歌は読みません)、お父さんはお母さんをきっと美化しすぎているでしょうと発言しました。
いささかムッとしましたが、実はそれは正しいのです。
会えなくなると、その人は途端に美化されるか悪者になるかのどちらなのです。
いつかも書きましたが、節子の場合は、美化されました。
きっと節子が読んでも、「これ私のことかしら」と思うところがあるかもしれませんし、私も、節子が元気の時に読んだら「こんな女房だったらいいのになあ」と思うかもしれません。
そこが挽歌の挽歌たる所以なのです。はい。
今の私にとっては、節子の「あばた」は「えくぼ」であり、欠点も愛すべきところになってしまっているわけです。
誤解のありませんように。

しかし、その時も娘と長沼さんに弁解しましたが、嘘は全くないのです。
あえて言えば、私の「表現力」の巧みさなのです。はい。
いいところをちょっと増幅させ、欠点は表現を変えているわけです。
もし、それでも大して「魅力的な人には感じられない」というのであれば、節子はかなり愚妻ということですね。
いえ、その場合は、私の「表現力」のまずさのせいだと信じましょう。はい。

真実はたぶん、私にとっては魅力的でしたが、世間一般からすれば、よくある普通の人でした。
まあ、「中の中」というところでしょうか。
私がいればこそ、輝いたのです。
いや、節子が怒っていそうです。
「中の中」だった修を輝かせたのは、私なのよといっているかもしれません。
まあ、節子がいなければ、そうだったかもしれません。はい。

まあ、いずれにしろ、節子は、少なくとも私には魅力的な女性だったのですが、それを少しだけ着飾らせるのは許してもらえるでしょう。
それに、私の耳に入っている節子へのほめ言葉もないわけではないのです。
一緒に仕事をしていた時に、四国の経済団体の方から講演の依頼がありました。
窓口はすべて節子がやってくれました。
当日、講演会場で先方の担当の方にお会いしたら、「すばらしい秘書ですね」と絶賛されました。
実は妻なのです、と話したのですが、その方はとてもいい印象をもたれていたようで、とてもうれしかったです。
まさか節子がそんな風に思われたとは思いもしませんでしたので。
まあ、そんな話もいくつかあるのです。

もっとも、私にとっては、節子の秘書業務は最悪でしたが。
いつも喧嘩になっていましたから。
夫婦で仕事をするのは、結構難しいものです。
特に途中からは。
でも節子は、それを引き受けてくれました。
やはりいい女房だったのです。
節子、ありがとうね。

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