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2008/07/31

■節子への挽歌333:死者を送る涙の大海

ギャラリー葬送博物館を主宰されている出口明子さんから久しぶりにメールが来ました。
出口さんと知り合ったのは8年ほど前、コムケアの集まりでした。
当時はまだ今ほどには「死」や「葬送」に正面から取り組むNPOは少なかったように思いますが、その活動の異色さに強い印象を受けました。
出口さんからのメールは、ある相談事だったのですが、その返信に節子を見送ったことを書きました。

その返信です。

奥様が亡くなられたことは存じておりました。
しかしその喪失感による心身のダメージが余りにも大きいことを漏れ伺っていて、あえて触れず、失礼をしました。
奥様の魂はきっとお喜びだと思います。心と心でふれあって共鳴できることは死者にとって何よりの供養だと私は信じてます。

今薔薇を育ててます。亡くなった人々の魂を慈しむおもいで、育ててます。
死者がいつでも羽を休めるように。

人が亡くなっても誰一人悲しまない、あえて言うと、喜んでいることが伝わってくる、こういう死は虚しいです。
涙を多くの人が流し、それが大海となって、その涙の海を魂は船に揺られて、精霊の国に旅立つのではないでしょうか。
どうか悲しみを閉じこめず、逝った人を慈しんで差し上げてください。

涙の海を渡っていく船。
涙をもっと流さないといけません。

今朝、節子がいつも今頃になると決まって果物を注文していたお店に電話しました。
いつもと違い、節子ではなく、私からだったので、奥さんはいかがですか、と訊かれました。
昨年、娘から節子の具合が悪いことを聞いていて、気にしていてくださったのです。
不覚にも胸がつまって、すぐに返事を返せませんでした。
久しぶりに電話の前で涙を出してしまいました。

私の知らないところで、いろんな人が私たちのことを覚えていてくれているのです。
感謝しなければいけません。
しかしこれは決して私たちだけではないでしょう。
声をかけてこないかもしれませんが、みんなお互いに気遣っているのです。
テレビで報道された秋葉原にもたくさんの人が献花に行きました。
「生命が粗末にされる時代」といわれますが、しっかりと生きている私たち庶民に限っていえば、そんなことは決してありません。
会ったこともない人の死にも涙する心情は、すべての人に宿っています。
死者を送る大海の水は、決して枯れることはないでしょう。

ところで、
出口さんのメールに「喪失感による心身のダメージが余りにも大きいことを漏れ伺って」とあったのが気になりました。
たしかに、心身のダメージは甚大です。
でも不思議なことに、元気でもあるのです。
このブログを読んでいてくださる方も、もしかしたら打ち萎れた私をイメージしているかもしれません。
もしそういう方がいたら、時評編の「ハンマーカンマー」をお読みください。
そこに出てくる私も、同じ私です。
人は、ダメージを受けた分、どこかで強くなるのかもしれません。

ギャラリー葬送博物館のサイトも見ていただければと思います。

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