■節子への挽歌304:おばけのQ太郎
昨日、ドラえもんが出てきたので、今日はおばけのQ太郎です。
いまでは忘れられてしまったキャラクターですが、私はおばけのQ太郎が大好きでした。
そして、そのQ太郎が私と節子をつなげてくれる大きな役割を果たしてくれたのです。
節子と初めて奈良を歩いたことは書きました。
偶然に電車であって、誘ったら節子が付き合ってくれたのです。
まさか、それが縁で結婚するとは夢にも思っていませんでした。
実は当時、私には付き合っていた女性もいたのです。
結局、後日、その女性には振られてしまいました。
但し、ただ振られただけではなく、ドラマティックな物語があるのですが、挽歌にはあまり似つかわしくないので書くのはやめます。
ところで、前にも書いたように、節子との最初の奈良散策はとてもあたたかな楽しいものでした。
その途中で、たぶん私が、真っ白なタートルネックのセーターがほしいというような話をしたのです。
市販のもので気にいるものがなかったのです。
節子はその話を覚えていて、セーターを編んでくれる人を探してくれました。
そして編んでもらえることになりました。
そこで追加のお願いを節子にしたのです。
そのセーターに、私のデザインしたおばけのQ太郎を大きく刺繍してほしいと。
なにしろ当時、私はおばけのQ太郎が大好きだったのです。
嘘を絶対につかず、困っている人がいるとついつい余計なお世話をし、でも必ずしも感謝されるわけでもなく、逆に騙されることが多く、報われることがなく、その上、大雑把でいい加減な、おばけのQ太郎の性格は、私の理想だったのです。
節子は、だれかに刺繍を教わりながら、Q太郎を完成してくれました。
当時は、そうした大きなQ太郎の刺繍のあるセーターを大の大人が着て歩くのは結構勇気が必要でした。
私は、そのタートルネックのセーターの上に、私好みに仕立ててもらった紺のスーツを着て外出しました。
ボタンをしているとQ太郎が見えないように工夫していたのです。
そのQ太郎が、節子と私の距離をぐっと近づけてくれたのです。
もっとも、そのお礼に、Q太郎の投げ輪ゲームを節子に贈りましたが、節子は全く喜びませんでした。
しかしわたしはQ太郎のセーターがうれしくて、毎週着ていました。
残念ながら自転車で転んで紺のスーツを破ってしまってからは、外出用にはいささか恥ずかしくてそのセーターも内着になり、いつかタンスの奥にしまわれてしまいました。
そしてある日、気づいたら節子が廃棄してしまっていたのです。
ショックでしたが、私には宝物でも節子にはできの悪い刺繍の思い出でしかなかったのです。
探せば当時の写真がどこかにあるはずですが、Q太郎が空を飛んでいる姿なのです。
ちなみに娘が小さな頃、等身大のQ太郎がわが家には時々いました。
娘たちをQ太郎のような理想の子どもに育てたかったのです。
しかし、残念ながら子どもたちはQ太郎のようにはなりませんでした。
子育ては難しいものです。
いやきっと節子がQ太郎のようにはしたくなかったのでしょう。
そんなわけで、いまのわが家には、ドラえもんもQ太郎もいないのです。
あえていえば、私自身が少しだけ彼らに似ているかもしれません。
何しろ彼らは私の憧れのキャラクターなのです。
みんなが彼らのようになったら、世界中がほんとうに平和で豊かになるでしょう。
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