■節子への挽歌308:突然の献花者
昨日、わざわざ埼玉から米田さんという方が献花に来てくださいました。
ネット検索をしていて、私のブログの挽歌に出会ったそうです。
読み始めたら、どう表現していいかわからなかった自分の気持ちが書かれているような気がして、居ても立ってもいられなくなったのだそうです。
そして、娘さんに同行してもらってやってきてくださったのです。
米田さんは昨年10月にご主人を亡くされました。
節子と同じ病気でした。
私たち夫婦と同じように、お2人で音響機器の会社をやっていたのです。
アドバンスオーディオという会社です。
http://www.advance-audio.com/
ご主人が心をこめて製作した真空管アンプのオーディオキットは、その分野では有名のようです。
ネット上の「オーディオニュース」というサイトに、「米田英樹氏が逝去」という記事が掲載されていました。
米田家も、わが家と同じく、家族全員が絶対治ると最期まで確信していたそうです。
そして突然の、信じられない別れ。
米田さんも、おそらく私と同じような状況になってしまったでしょう。
誰に話してもわかってもらえない、でもこの気持ちはそとに出したい。
どう表現したらいいのか。
そんな時、私の挽歌に出会ったのです。
一昨日のことです。
そして娘さんに頼んで、私の挽歌をプリントアウトしてもらったのだそうです。
山のような厚さになってしまったそうです。
なにしろ300回を超えていますので、たぶん50万字以上です。
内容も内容ですので、勢いがないととても読めない分量です。
でも米田さんは私の挽歌を読んで気が少し晴れたそうです。
自分の気持ちを代弁してくれていると思ったそうです。
私は書くことで心を安定させ、米田さんは読むことで心を安定させるというわけです。
別れの様子も少しお聞きしました。
米田夫妻は私たちよりわずかばかり年下ですが、お子さんが3人、いるそうです。
それが支えで、もしいなかれば後を追ったかもしれないといいます。
しかしいまは、ご主人と一緒にやってきた会社(アドバンスオーディオ)を、少しでも長く維持し、ご主人が精魂込めて生み出した品々を一人でも多くの方々にお届けすることで、ご主人の命が未だ燃え尽きていないと信じたいと、応援してくださる方々に支えられながら、活動を続けていきたい心境だといいます。
オーディアマニアの方たちから早すぎる逝去を惜しまれた米田英樹さんが一生懸命育ててきた真空管アンプのオーディオ機器ですから、きっとやわらかなあったかい音で聴く人を包み込んでくれるのでしょう。
今もなお、たくさんの人たちが米田さんのやさしさに包まれていることでしょう。
そして米田家族の中では、いや、英樹さんを知っている方のあいだでは、いまなお英樹さんは生き続けているのです。
それがよくわかります。
*この部分は、米田さんからのコメントにそって、当初の表現を一部変更させてもらいました(7月9日)。
庭の献花台に、庭のダリアを献花してもらいました。
私自身もあまり心の準備ができておらずに、突然の怒涛が押し寄せてきたような感じで、いささかの戸惑いもありましたが、帰り際に米田さんが「今日は来てよかった、気持ちがすっきりした」といってくれました。
挽歌も少しは誰かの役になっていることを知って、私もちょっとすっきりしました。
同じ立場にある人たちには、多くの言葉は要りません。
それに自分が発する言葉が決して誤解されない安心感があるので、素直に話せます。
だからきっとすっきりできるのです。
自分の素直な思いを素直に話しても素直に聴いてくれる人がいるということのありがたさを、改めて実感しました。
そういう人が周りに1人でもいれば、人はどんな苦境でも踏みとどまれます。
秋葉原事件を起こした加藤さんも、間違わずに済んだような気がします。
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コメント
一昨日は、本当に突然、強引にお邪魔いたしましたのにご家族で快く対応してくださり、心よりの感謝とお詫びを申し上げます。事前に皆様にお会い出来たらどんな事を伺おうとか、どんな事をお話させていただこう等一切考える事もなく、見ず知らずの間柄だなんていうこともすっかり忘れて 只、献花をさせていただきたい・・・(娘にとってはタイルのお願いの件もあったのですが)そんな状況でしたので、私の話は支離滅裂な内容になっていた筈です。それを佐藤様が上手に拾い上げ文章にしてくださった事は驚きです。恐縮致します。が、米田英樹の名をこんな形で取り上げていただけた事は本当に嬉しいです。ありがとうございます。
ところで1つだけ、私の支離滅裂な話し方の為、文中 少々違う表現が・・・アドバンスをもっと広げる・・・の所は、アドバンスを少しでも長く維持する事で主人が精魂込めて生み出した品々をお一人でも多くの方々にお届けする事で主人の命が未だ燃え尽きていないと信じたい為、関わってくださる方々に支えていただきながら、【細々でも】続けたい心境でいます。
大した事ではないのでお気になさらないでください。どこにも影響はございませんので・・・
膨大な文章の一部しか目を通して居ない今ですが、感ずる事は奥様を測り知れない程愛していらした事、奥様が測り知れない程素敵な方だった事を、奥様に向けて語りかけ、世界中のみんなにも聞いて欲しい。と、言う事にも繋がっていませんか?見当違いな解釈をしてしまっているかもしれませんが、私に文章力が有ったらそう思いながら書くと思います。書きたいです。私達の場合のエピソードは、登場人物も少なく、本当に内々の事ばかりですが、それなりに沢山の思い出を残してくれました最後に一番主人らしい私に対する思いやりの言葉は(身内と友人だけにしか話せない事でしたが)、10月4日、就寝中の午前1時過ぎの事、最期の言葉は今だ!と思ったのでしょうか?『お母さんと結婚して良かった』と言ってくれました。私も能天気に『私もお父さんと結婚して良かった』と答えたのですが、その後の言葉は言葉にならなかったので、子供達を呼んで主人が何と言っているのか一生懸命に聞いたのですがはっきりせず、そのうち主人は眠りに就き(と、思っていました)続きは明日と思い、皆で主人の両手と背中を擦りながら雑魚寝しました。本当にそれが最期でした。もっともっと感謝の言葉を言えばよかったと後悔しましたが、今迄私を大切にしてくれた主人らしい最期の言葉だったと思っています。いろいろ書いてもキリが無い上に思い出そうと思う時思い出せるものでもありません。
今回も自分勝手な事になってしまいました。人助けだと思って聞いてくださいませ。
この文章を書き始めてから3日目になってしまいました。素直に解釈してくださる間柄と信じて送信させていただきます。
お二人のお嬢様にもどうぞ宜しくお伝えくださいますようお願い致します。
ありがとうございました。
投稿: 米田雅子 | 2008/07/09 15:49
米田さん
ありがとうございます。
>アドバンスを少しでも長く維持する事で主人が精魂込めて生み出した品々をお一人でも多くの方々にお届けする事で主人の命が未だ燃え尽きていないと信じたい。
私もそう受け止めていたはずなのに、不正確な表現になってしまいました。
すみません。
書き直させてもらいます。
米田さんご夫妻の会話は情景が目に浮かびます。
状況は違いますが、私たち家族も同じようなかたちで別れをむかえました。
だから今でも何だか実感がないのです。
米田さん
やはりその時のことを思い出すと、書けなくなりますね。
でもちょっと書いておきたい気もあるのですよね。
書くことで気がすむことがあれば、また気楽に書き込んでください。
私へのメールでも結構です。
きちんと読ませてもらいます。
ご自愛くださいますように。
投稿: 佐藤修 | 2008/07/09 17:47