« ■節子への挽歌319:世界中の花が節子のお墓 | トップページ | ■節子への挽歌320:節子がいなくてもいろんなことがあります »

2008/07/17

■「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」

仕事で福島に行くため、上野から新幹線に乗りました。
予定より30分も早く上野駅に着いたので、1本早い新幹線に乗りました。
福島駅でゆっくり珈琲でも飲もうと考えたのです。
ところがです。
乗車して車内放送を聞いたら、20分早く出発するのですが、福島駅にはむしろ15分遅く着くことがわかりました。
各駅停車の新幹線だったのです。
慌てて次の大宮駅で降りて、20分後に来る予定していた新幹線に乗り換えました。

早く出発するんだから早く到着する。
これは完全に思い込みです。
まあ、今回の私の思い込みは、新幹線もいろいろとあることに関する知識不足、注意不足でしかありませんが、おそらくこうした「思い込み」による失敗を私たちはたくさんしているのでしょう。

今日は、福島県の自治研修センターでの講演でした。
今回の講演の主旨のひとつは、発想が硬くなっている自治体職員のみなさんの固定観念を壊すことです。
その話をする自分が、こんな思い込みの失敗をしてしまっているとは恥ずかしい限りです。

2年ほど前に光文社新書で「99.9%は仮説」と言う本が出ました。
思いこみ、常識、前例、先入観、固定観念……そういったものにしばられて、身動きがとれなくなっている人が多いが、「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」というようなことが書かれている本のようです。
私自身も「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」という発想の持ち主ですので、まあ読むまでもないかなと思って、まだ読んでいません。

私の今日の体験と、この話は違うような気もしますが、たぶんつながっています。
もちろん仮説を一々検証しながら、生きていたら身が持ちません。
仮説とか常識は、そうした生きるための膨大な作業を縮減するためのものですから、否定する必要はありません。
それに「世の中ぜんぶ仮説」ならば、その真偽を検証する必要もありません。

私は、太陽は絶対に東から出るとは思っていません。
時に西から出てくることがあるかもしれないと思っています。
カフカの小説ではありませんが、明日目が覚めたら、私が大きな毛虫になっている可能性もゼロだとは思っていません。
世の中に絶対、確実のものなどあろうはずがありません。

これまでの67年間の人生において、私はいつも目覚めると人間のままですが、だからと言って明日の朝もそうだとは限りません。
何をバカなことを書いているのかと思うかもしれませんが、昔読んだ本に「ヒヨコの悲劇」という話がありました。
毎日、決まった時間に餌をもらえて平和に過ごしていたヒヨコが、ある日、突然ブロイラーにされてしまうという話です。
昨日までがそうだったからと言って、今日も同じだとは限らないわけです。
その話も、ちょっと違うんじゃないかといわれそうです。
しかし、最近の世界は、そういう断絶的なことが頻発しているのです。
これまでの発想で未来を考えていては、間違いかねません。

新幹線を乗り違えた腹いせに、何かわけのわからないことを書いてしまったような気もしますが、いろいろと発想の転換が求められています。
「99.9%は仮説」を読んでみようかという気になってきました。

「99.9%は仮説」と「0.1%は真実」という命題は、同じものでしょうか。
こういう話を最近しなくなったことに気づきました。
そういえば、昔は女房とよくこういう話をしていました。
こんな馬鹿げた話に付き合ってくれたのは女房だけでした。
その女房は、もういません。
しかし、それもまたもしかしたら、思い込みかもしれません。
明日になったら、ヒョコっと顔を出すかもしれません。

あれ、いつの間にか「挽歌編」になってしまいました。
すみません。

|

« ■節子への挽歌319:世界中の花が節子のお墓 | トップページ | ■節子への挽歌320:節子がいなくてもいろんなことがあります »

無駄話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」:

« ■節子への挽歌319:世界中の花が節子のお墓 | トップページ | ■節子への挽歌320:節子がいなくてもいろんなことがあります »