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2008/07/20

■節子への挽歌322:好きな人がいるとエコライフできるという話

最近のリサイクル運動に厳しい批判をしている武田邦彦さんの本を読んでいたら、

「リサイクルが始まる前には、ペットボトルの生産量は一年に15万トン程度でしたが、リサイクルが開始されると生産量は55万トンに増加しています。その55万トンは、ほとんど「再生したペットボトル」はなく、「石油から新しく作ったペットボトル」です」
という文章に出会いました。
武田さんは、リサイクルよりも、もともとの生産量を減らさなければいけないと主張している人です。
言い換えれば、リサイクル論は生産拡大のための仕組みだというわけです。
私も同感で、20年前からリサイクル産業論には批判的な人間です。
論理的にどう考えても引き合いません。
それにリサイクル関連の法律を読めばすぐわかりますが、この法律は経済拡大を目指しているものですから、環境面ではどう考えても真面目に取り組む姿勢は感じられません。
議論の時から、私は経団連トップたちのエゴ(エコではなく)を感じています。
私もゴミの分別にはかなり真面目に取り組んでいますが、虚しい限りです。

それはともかく、その本を読んでいたら、こんな文章が出てきました。

「好きな人がいれば、1杯のコーヒーでも夢のような2時間を過ごすことができる」
そして武田さんはこう続けます。
「もし好きな人がいなければ電気街に行ってパソコンを山ほど買ってきて自宅で遊ぶしかない」
ちょっと意味不明ですが、要するに好きな人がいれば何がなくても幸せになれるが、いなければ、物がなければ幸せになれない、ということでしょうか。

好きな人がいるかいないかで。時間の使い方や消費行動が変わってくる。
つまり、「好きな人の存在と物量消費量」は反比例するというわけです。
とても面白い話です。
時評編で改めてもう少し書いてみようと思います。

私の場合、武田さんの第1原則「好きな人がいれば、1杯のコーヒーでも夢のような2時間を過ごすことができる」は極めて納得できます。
節子と一緒だと、どんなところでも楽しかったですから、高価なレストランなど必要ありませんでした。
私たちが高級レストランや高級ホテルに行ったことがないのは、きっと愛し合っていたからなのですね。
いえこれは冗談で、お金がなかったからだけの話です。

ところで、「好きな人がいないと物をたくさん買うことになる」という武田さんの第2原則はどうでしょうか。
孤独な女性が買物でストレスを発散するという報告もありますので、ある意味では当たっているのかもしれません。
しかし、私の場合は、どうも当てはまりません。
節子がいなくなって以来、物欲はさらに低下しました。
出張してもお土産を買う気も起こりませんし、ちょっと美味しそうな和菓子屋の前を通っても買おうという気にはなりません。
しかし、これはたぶん、愛する人と会えなくなったことの反動作用です。
節子がいない現在、どんなものがあろうと「夢のような2時間」は過ごせなくなってしまいました。
だからもう何も必要ないというわけです。

私はどうしたらいいのでしょうか。
好きな人と一緒にコーヒーも飲めないまま、しかし物を買って満足することもできず、なんだかとても中途半端な毎日になってしまっているのかもしれません。
1杯のコーヒーは10分ともたないので、今日は朝からもう4杯目のコーヒーです。
胃腸の調子があまりよくありませんが、手持ちぶたさで、家にいるとどうもコーヒーばかり飲んでいます。

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