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2008/07/04

■食を顔の見えない第三者に預ける生き方

食品に関する偽装事件が、次々と出てきます。
一向に終わる気配がありません。
私自身は、加工食品産業とはそういうものだろうと思っていますから、そう驚く話ではありません。
食を顔の見えない第三者に預けるということはそういうことです。
不当表示防止は、どう考えても簡単にできる話ではありません。
ラベルにはいろいろと書いてありますが、私にはいくら読んでもわかりません。

国家としての食糧自給率の問題が話題になりますが、
地産地消度や外食依存度もまた、それにつながっているように思います。
中国餃子事件以来、家庭で餃子をつくる人が増えたという話もありましたが、
食の安全安心を確保したいならば、食生活のあり方を考え直さなければなりません。
食を顔の見えない第三者に預ける生き方を選んだ先に、
食糧自給率低下があるのだろうと思います。
食品産業のあり方は、私たちの食のあり方、つまり生き方によって決まってくるのです。

調理する時間がないほど忙しいのであれば、その生活を見直すべきです。
グルメと称しておかしなものを飲食している文化は滑稽でしかありません。
産地を偽装し、賞味期限を偽装するのも悪いでしょうが、
嘘をつくのが悪いという文化そのものがいまや壊れつつある中で、
一部の企業の嘘だけを過剰にいじめる風潮にはどうもひっかかります。
高級ブランドを話題にする商業主義に染まりきった食の評論家の責任も大きいでしょう。
彼らの食生活は貧相この上ないと、テレビ番組を観ていて、私などは思います。

政治家の嘘、財界人の嘘、御用学者の嘘、有識者の嘘、などに比べれば、
食品会社の嘘だけをとがめるのには、ちょっと抵抗もあります。
彼らは「まねをしただけではないか」と思うことも時にあります。
問題を根絶するには、もっと根幹から考えなすべきです。

それにしても、偽装会社の社長の会見と政府閣僚や官僚の会見は、
本当に似ている気がします。

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