■お金を基準にした社会から抜け出せないものでしょうか
ガソリン価格が上昇したので、ガソリンの消費量が減少したそうです。
地球温暖化とか資源枯渇とか叫ばれていますが、結局は価格が高くなれば消費は低下するのだとわかって、私自身は何だか環境問題への関心が冷えてしまいました。
煙草の値上げに関しても、健康問題ではなくて税収問題が値上げの契機になっていることが問題にされていますが、これも寂しい話です。
ものごとの判断基準が、今や「お金」になってきているのです。
なにかおかしな気がします。
いささか歪んだ発想かもしれませんが、このことから次のような疑惑が生まれます。
環境問題も健康問題も、結局は「市場拡大戦略」のためのものなのではないか。
以前、北九州市のエコタウンを2日間かけてじっくりと見学させてもらいました。
しかし、そこで感じたのは環境の産業化であって、環境問題を意識した産業のありかたの見直しではありませんでした。
基本にあるのは、「どうしたらさらに産業を発展させられるか」です。
つまり、環境負荷を拡大するための仕組みづくりでしかないように感じました。
ある学会でその話をしましたが、ひややかな反応しかもらえませんでした。
最近、サプリメント市場が拡大しているようですが、これは健康のためになっているのでしょうか。
私もいくつかを飲んでいるのですが、最近少し疑問を持ち出しています。
結局は、私たちの健康意識の高まりが新しい市場を育てているわけですが、それは果たして私たちの「健康」とどういう関係にあるのでしょうか。
イヴァン・イリイチの問題提起にもかかわらず、産業のための産業化は、まだまだ勢いを弱めてはいないのかもしれません。
そう考えていくと、あらゆる目標が疑わしくなってきます。
「平和」や「人権」さえもが、産業化のために利用されていることは否定できません。
「教育」や「福祉」はどうでしょうか。
そうした理想の言葉が実際には反対の方向に利用されていることは少なくないでしょう。
重要な国策に関する議論で、よく資金はどうするのかといわれます。
野党の提案は資金の裏づけがないではないかと、与党議員や評論家や学者は言います。
その発想にこそ、問題があるのではないか。
お金など使わなくてもできることはいくらでもあります。
そして、お金を使っても、この数年の年金問題のように、何の成果も生み出さないこともあるのです。
お金を基準に考えるのは、そろそろやめるべきではないか。
そうしている限り、状況は変わらないように思います。
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