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2008/07/10

■国家と国家の約束の意味

北朝鮮拉致問題に関する加藤紘一さんの発言に対して、拉致被害者家族連絡会が「不見識極まりない」と抗議しています。
洞爺湖サミットでは、全くと言っていいほど何もアピールできなかった日本政府ですが、その足元でこんな発言が出ていることは決して偶然ではないでしょう。
拉致被害者家族のみなさんの怒りに共感します。
加藤さんの見識のなさは今に始まったことではないですが、驚きを感じます。

救う会全国協議会ニュースから引用させてもらいます。

「報道によれば、7月7日、日朝国交正常化推進議員連盟の顧問を務める加藤紘一氏が、北朝鮮から帰国し自由を得た拉致被害者5人について、次のように述べたという。
「国家と国家の約束だから、(北に戻した方が)よかった。安倍(晋三)さんを中心に返すべきでないとなったが、その辺が今、日朝の間で打開できない理由だと思う」
詳しくは、救う会のホームページを見ていただきたいですが、
「5人が北に戻されていれば、「自分の意思で戻った」と言わされたあげく、「拉致問題は解決済み」という北朝鮮側の主張に利用されたであろう」と拉致被害者家族連絡会では書いています。そして、
「被害者や家族の思いや不安をまったく理解しようとしない加藤紘一氏に対し、われわれは強い憤りを覚えるものである。被害者本人の明確な意思表明にもかかわらず、今頃、5人を北に戻すべきだったと主張する加藤氏の精神構造を、われわれは強く疑わざるをえない。
加藤氏を顧問に頂く「日朝正常化」議連の内部からも、即座に批判の声が上がるかと注視していたが、今のところ動きはない。このまま推移するようなら、われわれは、山崎拓会長はじめ同議連の役員・メンバーもすべて、日本人の自由と命よりも金正日の意向を重視する加藤氏と同次元に立つものと見なさざるを得ない」
と強く抗議しています。

核問題を口実にして、世界は北朝鮮の拉致問題を棚上げしている感があります。
日本の朝鮮人強制連行問題も棚上げされていますが、
要するにこうした問題は政治が一番不得手とする分野なのかもしれません。
なぜなら自らも同じような弱み(人権侵害要素)を必ず持っているからです。
「拉致」は、国内外を問わず、国家の得意技なのです。
拉致問題も、日本と北朝鮮の対立問題のように見えていますが、拉致を少し広義に考えれば、人民と国家の対立問題です。
そういう問題設定をしないと本質は見えてきません。
逆に、そう問題設定すると、北朝鮮政府と日本政府とアメリカ政府が、なぜあいまいな形でしか取り組まないのかも理解できます。
それに、核問題と違って、拉致問題はお金にはならないですから、財界からの圧力もないでしょうし、解決しても献金は増えません。
つまり、拉致問題は極めて純政治的な問題なのです。
ですから解決せずにあいまいにしておくほうが政治家にはメリットがあるのです。
加藤発言は、そうした本質を露呈しているように思います。

拉致問題にどう取り組むかで、政府(政治家)の本質がみえてくるように思います。
しかし自分が当事者だったら、どう思うかを考えれば、政治家とは違った意識が芽生えるでしょう。
拉致問題をどう考えるかで、自分の生き方の実体もみえてくるような気がします。

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