■節子への挽歌318:花よりやさしい節子
昨日、花の輪のことを書きながら思い出したことがあります.
節子と会った頃、つまり昭和39年(1964年)ごろですが、「花よりやさしいマリア」で始まる歌がありました。
日本の歌ではありません。
それほど流行した歌ではないと思いますが、私は好きで時々歌っていました。
どんな歌だったのか、ネットでいろいろと調べてみましたが、出てきませんでした。
みんなに愛されているのに、まだそれに気づくことのない無邪気なおとめのことを歌った歌です、
歌詞はたしかこんなものでした。
花よりやさしいマリア何ということのない歌です。
花よりきれいなマリア
でもそんなことなど気がつきもしないで、
あの街角、あるいている。
でも私にはとても気に入っていた歌なのです。
2行目と3行目の間に何か入ったような気もします。
節子はマリアと違って、「花よりはやさしく、花よりきれい」ではありませんでしたが、花が似合う人でした。
そして何よりも花が好きでした。
家の中でも、ちょっとした片隅に小さな花を一輪、飾っておくというのが好きでした。
そうした小さな気遣いが、私の大好きなことでした。
誰にも気づかれることのない気遣い。
それこそが節子と私の理想でした。
まあ、しかし全く気づかれないと少し残念に思うのも、私と節子の共通点でした。
節子は、花をうまく活かすのが好きでした。
いろんな思い出がありますが、思い出そうとすると涙が出てきますので、やめます。
私の節子の思い出は、節子のまわりにあった花のおかげでかなり美化されているかもしれません。
節子の思い出というよりも、節子の花の思い出というべきでしょうか。
いやもしかしたら、節子は枯れやすい花の妖精だったのかもしれません。
それを枯らしてしまった自分が、とても情けないです。。
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