■節子への挽歌336:11回目の月命日
節子
11回目の月命日です。
昨日の花火大会に来てくれた人たちが花を持ってきてくれましたので、そのお裾分けをしようと娘たちとお墓に行きました。
夏の間は、造花と生花を組み合わせて、墓前に供えています。
造花は退色するといけないので注意していますが、今のところ生き生きとしてくれています。
生花も枯れてもドライフラワーになるような種類を選んでいますので、まあ、暑い割には墓前の花はきれいです。
節子にはきっと合格点をもらえるでしょう。
節子はいつも、わが家の献花台や位牌壇にいると思っているのですが、なぜか時々お墓に来ないと落ち着きません。
たぶんむすめたちもそうのようで、最近は誘わなくても一緒に来てくれます。
墓前で私は般若心経をあげます。
娘たちはあまりお経が好きではありません。
私も若い頃はそうでしたが、60数年も生きていると昔は全くの記号にしか感じられなかった経文の意味がそれとなくわかってきて、読経すると安堵します。
お墓の花は、わが家ではいわゆる仏花にこだわっていません。
むしろ仏花らしくない花を好んで供えています。
それを知ってか、昨日、娘の友人たちが持ってきてくれたお花も仏花ではなく、とてもあったかな暖色系の花の組み合わせでした。
赤い薔薇が入っていましたから、もしかしたらこのブログを読んでくれたのかもしれません。
もしそうであればうれしいことです。
今日は風がとても強いです。
うだるような暑さですが、風がとても心地よいです。
午後からは娘たちも出かけましたので、今は自宅で1人です。
パソコンに向かって、挽歌を書き出したので、なぜか急に涙が出てきました。
最近は、一人になってもそう簡単には涙が出なくなったはずなのですが。
不思議に思ったのですが、いま理由がわかりました。
何気なくかけていたCDから、さだまさしの「精霊流し」が流れていたのです。
あまりにも悲しい歌詞なので、節子がいなくなってからは聴いていなかった曲です。
この部屋にあるのは、複数のCDを自動セットしておくプレイヤーです。
先ほど、ジョージ・ウィルソンの「サマー」をセットしたのですが、なぜか前から入ったままになっていたCDが誤動作でかかってしまったようです。
あれあれ。今度は、さだましの「勇気を出して」です。
できすぎていますね。
節子のいたずらでしょうか。
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