■節子への挽歌345:2年前の節子を思い出しました
高須さん家族が献花に来てくれました。
高須さんは、私たち夫婦が仲人をさせてもらいました。
しかし、私も節子も、高須さんと以前から親交があったわけではありません。
仲人を頼まれた経緯は、私たちにも驚きの経緯でした。
ある人の紹介で、ある若者が私を訪ねてきました。
実は高須さんは、その人についてやってきたのです。
そして、私とその人とのやり取りを聴いて、帰っていきました。
それが最初の出会いです。
その場に節子がいたかどうか記憶がありません。
ところがです。
それからしばらくして、高須さんから電話がありました。
そして、突然に、結婚するので仲人をしてほしいというのです。
私もかなり主観的に生きていますが、この電話には度肝を抜かれました。
高須さんのことも相手のことも、全く知らないのですから。
ともかく一度会って、ということで、たぶん節子と2人で高須さんたちに会ったのです。
後のことは全く記憶にないのですが、結果的には仲人をさせてもらったわけです。
節子がいたらもう少し経緯を覚えているでしょうが、私は過去のことはほとんどすべて忘れてしまいますので、ただ仲人だった記憶しかありません。
高須さんとは、そういう人です。
その高須さんが子どもたちと一緒にやってきてくれました。
2人の子どもたちが、それぞれに小さな花輪を持ってきてくれましたので、献花台に供えさせてもらいました。
それぞれが選んだかわいい花束です。
高須さん夫妻は、とてもうれしい心遣いをしてきてくれました。
上の子どもに節子が昔、プレゼントした洋服を、下の子が着てきてくれたのです。
上の娘さんはもう小学校3年なのですが、2年前にやってきた時のことを覚えていました。
その時は、節子は調子がよくて、みんなでケーキをつくったのだそうです。
その日は朝、近くの手賀沼でトライアスロンがあり、そこに節子の主治医が参加していたので、節子が自分で旗をつくって家族みんなで応援に行った話もしていたそうです。
そういえば、そうでした。
その時の節子のことを、鮮明に覚えています。
それがわずか2年前。
私にとっては、世界戦争があったよりも大きな変化のあった2年でした。
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