■節子への挽歌348:節子の人生収支バランス
私に対する節子の収支バランスはどうなっているでしょうか。
そんなことをふと考えました。
私が節子にしてあげたことはいくつかあります。
エジプトに一緒に行きました。
アブシンベルとピラミッドは、とても気に入ってくれましたが、遺跡はみんな同じだと言っていました。
ベトナム戦争の意味を教えました。
いささか反米的な方向で、節子の常識を変えさせたかもしれません。
そのせいか、私以上にラディカルになりました。
節子のやりたいことに関しては、すべて賛成し、応援しました。
節子を心底愛しました。
しかし、してあげられなかったこともたくさんあります。
カナダには連れて行けませんでした。
節子は私と違って、エジプトの遺跡よりも広大な自然が好きでした。
吉野家の牛丼を食べに連れて行くこともできませんでした。
節子は牛丼を食べたことがなく、行きたいといっていましたが、私は食べたことがあるので行きたくなかったのです。
一緒にスポーツをやりたいという希望には応えようとはしませんでした。
そして、なによりも節子を守ってやれませんでした。
収支は赤字でしょうか。
しかし、私が節子にしてあげたことで、一番大きなことが、まだあります。
節子を一人ぽっちにしなかったことです。
一人ぽっちに残される辛さを、節子に体験させないですんだということです。
私でもこれほど辛いのですから、節子にはきっと耐えられなかったでしょう。
私はそう思います。
このことで、節子の収支バランスは、間違いなく黒字です。
私は「良い夫」だったわけです。
でも娘たちは、全くそうは思っていません。
お父さんが先に行ったら、お母さんはますます幸せになったかもしれないよ。
本当に親のことがわかっていない娘たちです。
わかっていないのはあなたよ、という節子の声が聞こえるような気もしないではありませんが。
いやはや。
節子がわが家に偏在しているのも、あと1日です。
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