■節子への挽歌363:節子のやさしさと健気なさ
節子
敦賀のお姉さんとお義兄さんが来てくれましたよ。
間もなく節子の一周忌なのですが、今回はお寺とも相談して、家族と節子の姉夫婦、それに私の兄夫婦だけで、法要をやらせてもらうことにしました。
節子は、私と結婚したために、滋賀の実家から遠い東京で生活をすることになりました。
そのため、節子はなかなか親孝行ができず、年に1~2回しか実家に帰れずにいました。
節子の姉は、実家からそれほど遠くない福井の敦賀市に嫁ぎましたので、節子の分まで両親によくしてくれました。
それで節子は、姉夫婦にとても感謝していました。
そしていつかお返ししなければと、よく話していました。
しかし、まさか自分が姉よりも早く逝くとは思っていなかったでしょう。
節子が再発した後、私に幾度か涙ながらに話したことがあります。
自分は娘が2人いて、看病をしてもらえるのでとても幸せだが、姉は息子しかいないので何かあれば私が看病してやらなければいけない。
それができなくなりそうで、姉に申し訳ない、と。
節子は病気になってからも、いつも誰かのことを気遣っていました。
そのやさしさと健気さが、節子の魅力でした。
節子たちの姉妹は、とても仲がよく、お互い思いでした。
母親を亡くしてからは、節子は実家よりも敦賀の姉のほうに行くことのほうが多くなりました。
私もだいたい同行しました。
節子と私の最後の旅は、姉夫婦との芦原温泉への旅行でした。
これは姉が企画してくれたのです。
節子にとって、とても楽しい旅だったでしょう。
その時は節子はまだ元気でしたが、そこから戻ってから、急速に体調が悪化したのです。
あのときの節子の笑顔を、今でも時々思い出します。
きっと身体的には辛かったのでしょうが、私にはそれを見せませんでした。
思い出すだけで、節子のやさしさと健気なさに胸が熱くなります。
その健気さは、私には真似できませんが、やさしさだけは少しだけ節子にほめてもらえそうな気がします。
節子と一緒に人生を築き上げることができたことを、心からうれしく思っています。
本当に、やさしく健気な人でした。
ちょっと私に似て、性格の悪いところもありましたが。
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