■節子への挽歌347:若住職への如来像お披露目
節子が戻ってきたからといって、何かが変わったわけではありませんが、いつもよりも何か節子を身近に感じます。
今朝は節子と一緒にコーヒーを飲みました。
今日は、昨日の話を書きます。
昨日、迎え火で節子を迎えて、挽歌を書き終えたら、お寺からこれから棚経に行っていいですかという電話が来ました。
今日は来ないだろうと気を抜いていたので、いささか慌てました。
出かけたばかりの娘に電話で至急戻るようにいい、ご住職を迎える準備をしました。
ジュンが位牌壇の周りをきちんとこしらえてくれていましたので、それはよかったのですが、座布団もお布施も、何も用意していなかったのです。
押入れから座布団を出したら、湿気くさいので30度以上の暑い日当たりで干しました。
一方、部屋はクーラーで急冷し、準備を整えました。
電話から20分後にお寺の自動車が到着です。
幸い、出かけていたむすめも間に合いました。
座布団は少し熱かったでしょうが、まあ湿気のにおいはありませんでした。
てんやわんやしている家族を見て、節子はどう思ったでしょうか。
やはり自分がいないとダメだなと思ったかもしれません。
お布施は袋がなかったので、郵便用の封筒に入れましたが、それがまたしわくちゃでした。
ちょっと間に合わなかったので、と断りましたが、まあ、普通はもう少し早くから用意しておくのでしょうね。
私はすべて直前でないと準備しないタイプなのです。
節子はそのことをいつも注意してくれていましたが、そういう節子もたぶんにそういうタイプでした。
他人の欠陥は、往々にして自分の欠陥であることが多いものです。
お布施には名前も書かず、くしゃくしゃのままでしたが、中身はきちんと入れました。
たぶん。
まあ、万一入れ忘れても、名前も書かなかったので、誰が入れ忘れたかはわからないでしょう。
来てくださったのは若住職でしたので、わが家の如来像を見てもらいました。
みんなで心を込めてつくってくださって、ありがとうございますといわれました。
その言葉に感心しました。
仏僧は、ほとけたちの世界から私たちのことをみてくれているのだと改めて気づきました。
午後、節子が大好きだった梨を分けてもらおうと近くのすぎの梨園に行きました。
もっと早く予約しておけばよかったのですが、今ちょうどお盆のため、個々に分けてもらえる梨はまだありませんでした。
ここでも直前まで動かない私の悪癖が災いしてしまいました。
それでも杉野さんは、奥さんに供えてくださいと少し分けてくださいました。
杉野さんの梨は、自然のままの梨なのです。
杉野さんの奥さんに、わが家の如来像の写真を見せてしまいました。
ちなみに、杉野さんからとてもいい話を聴きましたので、時評編に書かせてもらいます。
夕方、兄夫婦が来てくれましたので、2人にもご開帳です。
なかなか好評ですが、まあ無理やり見せているので、みんな「いいですね」としか言いようがないのでしょうね。
こうして少しずつわが家の如来像は認知されだしています。
まだしばらくは魂が入っていないのですが、この如来像もわが家の文化を吸収してくれていることでしょう。
一周忌の時までには、きっと表情が変わっているはずです。
そういえば、今日、来てくださった若住職とこの如来像はとても似ているような気がしました。
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