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2008/08/17

■「戦後最長の景気拡大」が終わった

内閣府の関係団体が、民間シンクタンクを対象に行った調査で、2002年2月から続いていた戦後最長の景気拡大が「すでに終わった」とする回答が94.4%を占めたそうです。
これからの経済はますます厳しいものになっていくようです。

しかし、景気とは一体何なのでしょうか。
私にはむしろ、これまで「戦後最長の景気拡大」という言葉に違和感があります。
この6年半、日本の景気は拡大基調だったのです。
経済界で景気が語られる時、その基準は景気動向指数といわれるものに基づいていますが、ソーシャル・キャピタルの指数を「どの視点」「どう評価」するかで、判断は変わってきます。
数字になっていると、みんな客観的な事実と考えがちですが、数字をどうつくるかの段階で主観が必ず入ってきますから、数字は決して客観的なものではありません。
算出の方法を少し変えるだけで、物価上昇も賃金水準動向もかなり変わります。

この6年半、あまり経済的に良くなってきてはいないと感じている人も少なくないと思います。
経済的格差は深刻化しているような気もしますし、労働時間はむしろ増えていると思っている人もいるでしょう。
どうも景気動向と生活とがつながらないという人も少なくありません。
たしかに、企業業績と個人所得は反比例しているのではないかと思ってしまうような状況も皆無ではないでしょう。
景気は「だれのためにあるのか」を問いたくなります。

もしそうであれば、これから景気後退局面に入るとしても、生活にはそう関係ないともいえそうです。
しかし、そうはならないでしょう。
景気後退が懸念されだすと、個人も企業も行動を変えてしまいます。
過剰防衛が経済そのものを壊すことは少なくありません。
経済が壊れて被害を受けるのは、余裕がない貧しい人たちです。
逆に経済的な富裕層は、変化から利益を得ることが少なくありません。
それこそが経済の不思議なところです。
いまの経済には悪魔が住みついているのです。
そうした「経済」や「景気」に振り回されないようにしなければいけません。

生活の視点から、経済や景気を考える仕組みはできないものでしょうか。
近代統計学が近代国家を方向づけたように、新しい社会を方向づけるような統計学は生まれないものでしょうか。
統計学ほど主観的な学問はないのかもしれません。

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