■節子への挽歌364:失敗続発の一周忌
節子の一周忌の法要を菩提寺でとりおこないました。
この1年の私は、節子に明け暮れました。
いえ、これからの人生もそうかもしれません。
昨日書いたように、一周忌は家族と兄姉夫婦だけでやることにしました。
最初、葬儀もそんな形で静かにやるつもりだったのですが、結局はたくさんの人たちに来てもらいました。
そのおかげで、私も娘たちも、何とか元気を維持できたのだろうと思いますが、
そうそう甘えてばかりはいられません。
覚悟を決める意味でも、今回は家族だけでと考えたのですが、いかにも家族だけではさびしいので、節子の姉夫婦と私の兄夫婦には声をかけました。
みんなが来てくれると、悲しさを克服できますが、身内だけだと悲しさは増幅されます。
ご住職がお経をあげてくださっている間、節子のさまざまな笑顔が思い出されて、悲しさがこみ上げてきます。
菩提寺のご住職にお願いして、私たちがつくった大日如来に魂も入れてもらいました。
これでわが家にも守り本尊ができました。
節子も安堵したかもしれません。
節子は、私と違ってモダンでしたので、実家にあるような大きな仏壇や正統的な仏像はなくてもいいといっていました。
ですからジュンが手づくりした、この大日如来はきっと気にいっていると思います。
私もとても気にいっています。
本当にわが家らしい如来です。
供養が終わったあと、みんなで節子を偲んで会食しましたが、
私は、こういう場できちんと挨拶をするのが苦手で、いつも節子に叱られていましたが、
今回は生まれて初めて、親族相手にきちんと話をさせてもらいました。
節子の写真したのですが、卓上に出すのを忘れてポケットに入れたままでした。
やはり修はどこか抜けているわね、と節子は苦笑していたでしょう。
そういえば、お寺での供養後、お布施などを渡すのを忘れて帰りかけました。
兄に注意されて、それに気づき、慌ててご住職に挨拶に戻りました。
やはり節子のことで頭が一杯で、ミスばかりの1日でした。
親戚などの会食では、いつも場づくりは節子の役割でした。
その節子がいたらもっと盛り上がったろうなと思いますが、みんなの気遣いで楽しい2時間でした。
しかし、節子が果たしていた役割は、本当に大きかったのだと改めて思います。
ほんとうに、私には過ぎた女房でした。
私が、おかしな人生を送らずにすんだのは、間違いなく節子のおかげです。
戻ったら花かご会から花が届いていました。
近くの坪田さんも大きな花輪を届けてくれました。
節子はまた、たくさんの花に囲まれています。
ところで、よけいなことですが、お知らせです。
何人かの方から一周忌の法要にもお伺いしたいと連絡をいただいたのですが、今回はわがままを通させてもらい、内輪だけで行いました。
その代わりというのもなんですが、まさに一周忌にあたる9月3日とその前後の両日は自宅の献花台の前で、節子が大好きだった庭の花を愛でながら、日長1日、お茶でも飲みながらぼんやりしていようと思っています。
もし近くに来る機会があればお立ち寄りください。
珈琲だけのおもてなししかありませんが。
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