■節子への挽歌357:施餓鬼供養
今日は施餓鬼会でした。
わが家の菩提寺は、真言宗豊山派ですが、毎年8月24日が施餓鬼会と決まっています。
両親が亡くなってからは、兄にお墓を守ってもらっていますので、この10年近くは参加したことがなかったのですが、今年からは毎年参加するつもりです。
施餓鬼会と言っても、これまでは先祖代々の供養儀式程度にしか理解していなかったのですが、もう少しきちんと理解しようと思い、真言宗豊山派のサイトで調べてみました。
こう説明されています。
お釈迦さまの弟子の阿難尊者がある夜瞑想していると、飢えて鬼のようになってしまった精霊(餓鬼)が現れ、「お前の命はあと3日だ。3日後には餓鬼の仲間に引き入れる」と告げました。尊者はさっそくお釈迦さまに餓鬼に施しをする作法を授かり、食物を供え、ご真言を唱えて回向(えこう)したところ、たいそう長生きをしたということです。このことから、施餓鬼会は、春秋の彼岸やお盆と共に、大切な行事になりました。以前も本で調べて、あんまり意義を見出せなかったことを思い出しました。
私たちは、知らず知らずのうちに殺生をして毎日を過ごしています。それは、生き物のいのちをいただき食事をすることで、私たちは、つつがなく生きていくことができるということです。
私たちは、このことに感謝し、供養をつくすことによって三界萬霊(さんがいばんれい:この世のあらゆる精霊)や無縁仏への回向とし、また、この供養が巡って先祖に届くのです。
しかし、まあ節子とつながれる場があるのであれば、何でも参加しようというのが今の気持ちです。
身勝手でいい加減な話ですが、まあそれが私なので仕方がありません。
新盆なので新盆燈明料としてお布施させてもらいました。
これで節子は、私亡き後も永代供養してもらえることになります。
施餓鬼供養は、12人ほどの僧侶で営まれました。
今年は日曜日だったこともあり、たくさんの人が集まりました。
供養終了後、卒塔婆をお墓に立てて、節子と両親に声をかけてきました。
終了後、お寺から新盆の掛け軸をもらいました。
こうやってだんだん節子は向こうの人になってしまうのでしょうか。
施餓鬼会は、どうもまだ私の心には響いてきません。
どこかで何かが違うのです。
まだまだ信仰心が不足しているようです。
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