■名前の大切さと匿名の文化
私が参加している平和関係のメーリングリストで、
時々、気が重くなるような攻撃メールの交換が行われることがあります。
平和のメーリングリストですから、とりわけ気が重くなるのですが、
多くの場合、きっかけは「匿名」の人の書き込みです。
メールでのやり取りは、たとえ名前を書いていても、それが実名かどうかわかりませんから、
ネット上の名前はほとんどの場合、匿名と大差ないのですが、
それでもニックネームなどという、わけのわからない文化がネットの世界では大手を振るっているのは私には違和感があります。
私のホームページや、このブログも、そうした匿名の人に攻撃されたことはありますし、
私自身不快な思いをしたこともあります。
ですから、私はネットであろうと匿名やニックネームは使いませんし、
自らが何者であるかの情報は極力出すようにしています。
まあ、それもあまり意味のないことではあるのですが。
今日の朝日新聞の夕刊に、ネットでの匿名使いのビジネスの危うさが大きく報道されています。
ビジネスを匿名でするということ自体、私には理解できかねますが、
よく考えてみるとこれまでのビジネスを支えてきたのは、「匿名の文化」だったのかもしれません。
匿名化が、産業を発展させてきたとすれば、その劣化は起こるべくして起こったわけです。
最近は、その弊害を克服するために、作り手の顔が見える仕組みが拡がりだしています。
そろそろ「匿名の文化」を考え直す必要があるようです。
人の心には、天使も悪魔も住んでいます。
もし発言者としての自分が特定されたら、言動には慎重になるでしょう。
しかし、特定されないことが保証されていれば、人は悪魔になる魅力に勝てるでしょうか。
「お天道様」がにらみを聞かせていた時代はよかったですが、そのお天道文化も消えつつあります。
しかも昨今は、個人情報保護法などというおかしな制度がまかり通り、匿名が大手を振って闊歩しだしています。
しかし、人から名前を取ったら、何が残るのでしょうか。
堂々と自分の名前も言えずに、こそこそと卑屈な人生を歩むことは避けたいものですが、
そうした風潮を助長する文化や制度が多すぎます。
せめて私は、自分の名前を大事にし、その名前のもとで言動したいと思います。
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