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2008/08/02

■「プロから見たらよくできた内閣」

新内閣の顔ぶれが決まりました。
その評価を、ここで取り上げようなどとは微塵も思っていませんが、何人かの政治通を自認しているジャーナリストの人たちが、国民から見たら見栄えがしないかもしれないが「プロから見たらよくできた内閣」だというようなことを言っているのが、とても気になります。
その発言を聞いた途端に、偏狭な私は「ああ、この人は全く自分の価値観を持っていない人だ」などと思ってしまうのです。
自分の価値観のないジャーナリストは、要するに御用ジャーナリストなのですから、私には全く信頼できない人にしか見えません。
この私の態度もかなり問題ですが。

似た言葉を最近よく聞きます。
社会保険庁が新しい組織になる時に、これまでの職員をあまり排除すると、業務が円滑に進まなくなる恐れがあるという発言があります。
枡添大臣も、そう話しています。
これまでの職員が、知識を悪用して年金を食い物にしていたことを考えれば、「業務」という言葉の中身がいささか不安になります。
これまでの組織活動を一新するのであれば、これまでの仕事になじんだベテラン職員はマイナスにこそなれ、プラスにはなりません。
職人の技能継承とは違うのです。
保険庁の職員をほぼすべて一新しても、組織としての活動は展開できるでしょう。
もちろん継承のためには1~2年はかかるでしょうが、それをやらない限り、組織の問題は解決できません。
私は一度、全職員を解雇し、きちんとした試験で新たに採用するくらいのことが必要だと思います。
半数くらいは新規採用にしてもいいでしょう。
大阪府の職員の問題もそうですが、公的な雇用の場は、もっと広く開放すべきです。
大阪府の仕事であれば、給料は半分でも引きうけたいというワーキングプアに苦労している人は少なくないでしょう。
行政や自治体の職員組合は、そうした公的な雇用の場をこれまで手練手管を使って独占してきたわけですが、そうした反省を少しはすべきです。
まあ、それはそれとして、
ベテラン職員に依存する発想は、「プロから見たらよくできた内閣」と同じ発想のように感じます。

イラク特措法による国際貢献は国内問題と連動させるべきではない、国際社会の一員としてやめられない、という人も少なくありません。
これも同じ発想です。
国際社会の一員としてやるべきことは一つではありません。
ましてやテロ特措法は、ある陣営に加担することを意味しますから、それが絶対などとはいえないはずです。
ODAのことを思い出せばいいでしょう。
そういう発想をする人は、まさに自分の価値観がない人です。
それに、国際貢献などという言葉に、そもそも胡散臭さがあります。

時代状況は大きく変わりつつあります。
そうした中で、自分の価値観で判断し、主張することが、ますます大事になっています。
「プロ」や「プロ発想を拠り所にする人」や「秩序維持を強調する人」や「貢献などと目線高く発言する人」から、自由になりたいと、私は思っています。

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