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2008/08/01

■消費省(庁)発想の時代錯誤

今夕、内閣改造が発表されるようです。
どんな顔ぶれなのかを話題にしているテレビの番組を見ていたら、女性入閣者の話題に絡んで消費者省の話が出てきました。
昨今の内閣改造議論は、福田さんが嫌いだったはずの「政局発想」であり、気の抜けたビールのような話ですが、消費者省(庁)の話になると、これは瑣末な問題とはいえません。
まさに「政策発想」でとらえるべき問題です。

消費者省などと言う発想は1970年代のコンシューマリズムが広がった時代の話であり、私は時代錯誤もはなはだしいと思っています。
これに関しては、これまでも何回か書いてきました。たとえば、
生産者主導から消費者主導の経済への移行の幻想(2007年5月8日)
消費者庁への期待と懸念(2008年5月28日)

なぜ時代錯誤と思うのか。
それは「消費者」という概念が、産業主義、金銭経済主義のコア概念だからです。
生活者を「消費機関」に育て上げてしまった結果が、昨今の市場万能社会です。
市場原理に任せたほうがいいとか、民営化が効率的だなどという話がありますが、それらはすべて金融権力側の発想です。
それで壊されてきたのは、生活です。

ですから、いま話題にすべきは、行き過ぎた産業主義を見直すための「生活者省」です。
もちろん私は、「生活者省」発想も理想とは思いません。
前に書いたように、必要なのは生活者起点の発想をすべての経済や政治の根幹に置くべきだと思っています。
でもまあ次善の策としてであれば、「消費者省」ではなくて「生活者省」です。
いや「生活省」でいいでしょう。

「消費」と「生活」は、全く違う概念です。
これについて、30年ほど前に書いた、コンシューマリズム関係の拙文があるのですが(日本生産性本部の懸賞論文の入選作です)、探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。
その頃、私がどんなことを考えていたか、自分でも知りたいのですが。
見つかったらCWSコモンズのアーカイブに掲載するつもりです。

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