■節子への挽歌342:元気を送るか、悲しさを振りまくか
昨日、根本さんのことを書きましたが、根本さんから教えられたことはたくさんあります。
あまり個人的な話を書くべきではないでしょうが、根本さんは実はたくさんの苦労を背負い込んでいるのです。
にもかかわらず、根本さんは明るいです。
昨日の挽歌を書いた後、そのことを少し考えてみました。
根本さんは苦労も多いのに明るさを伝えてくれる。
私は悲しさを振りまいているのではないか。
根本さんは以前、私よりもずっと落ち込んでいた時期がありました。
その時、私はささやかに元気づけさせてもらったことがありますが、
節子の件では、根本さんからたくさんの元気をもらっています。
考えてみると、最近はどうも私自身がまわりから元気を吸い取る存在になっているのではないか、そんな気がしてきました。
節子のことをとても心配してくれていた鈴木さんから暑中見舞いが届きました。
そこにこう書かれていました。
「どうことばをかけて良いのかわからないうちに1年たってしまいました」
きっと鈴木さんにも、私の悲しさの気分が届いているのでしょう。
静岡のHMさんに最近のことを少し報告しました。
そうしたらこんなメールをくれました。
お元気にお過ごしのご様子で、うれしく感じました。
やはり佐藤さんはお元気そうでないと困ります。
たいへんでしょうが、なんといっても周りの人に力や勇気を与えてくれる存在ですから・・
「周りの人に力や勇気を与えてくれる存在」
そういえば、少し前まではそういう生き方を目指していましたし、それなりにそれを実行してきたつもりです。
しかし、伴侶だった節子にさえも、力や勇気を与えてやれなかったという挫折感が、どこかで私の心身に沈殿してしまったのかもしれません。
私自身は今も元気ですし、やってきた人たちには元気を与えるようにしているつもりなのですが、たぶん相手の人にはそれが伝わらないのでしょうね。
自分に力や勇気を与えられずに、他者に与えられるはずがありませんから、それは当然のことでしょう。
HMさんや鈴木さんに今度会ったら、悲しみではなく勇気と力を振りかけたいと思います。
根本さんを見習わなければいけません。
それに、節子も私の大きな力と勇気を与えてくれているはずですから。
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