■人さまを大切にする文化、知的崩壊が進む文化
今朝の朝日新聞の「夏に語る」で、作家の石牟礼道子さんが話しています。
見出しは『「人さま」思いやる心取り戻して』です。
石牟礼さんの「苦海浄土 わが水俣病」を読んだときの衝撃は覚えています。
「公害」というものの実態を生々しく実感しました。
それが、私が近代産業システムに問題を感じ出した最初の契機だったかもしれません。
石牟礼さんは、その後ずっと水俣と係わりながら、社会に向けての発信を続けています。
石牟礼さんは、この記事でこう語っています。
長いですが、ぜひみなさんに読んでほしいと思い、引用させてもらいます。
共同体には問題がいろいろありますけれど、小さな共同体が失われ、きずなが断ち切れましたね。そうなると「他人のことはどうでもいい」と助け合わなくなった。人を殺しても平気な世の中になった。肉親でさえも殺すことになった。「水俣病はのさり(たまもの)」と語っていた杉本栄子さんについても言及しています。
近代化された標準語では他人、他者ですが、私が生まれた天草では「人さま」と言います。人さまを大切にする、隣人を大事にする、ゆきずりの人であっても縁を感じて大事にする。それが地方や村でもなくなってきていますね。
結果的に勝ち抜き社会を目指してきたでしょう。そしてお金がこの世で一番、位が高いものとみんなが思うようになった。負けた人たちはどうなるのか。生きる意味がないのか。心の問題は置き去りにされてしまいました。悩みを持った人がたくさんいる。人さま方の苦しみをわかる人が増えてほしい。
栄子さんは「今夜も、祈らんば生きられんとばい」「許さんことには生きられんとばい」と言っていました。「(自分たちを差別した人たちを)呪う、憎むのはもうきつか。苦しくて生きられん」と。言葉でただ許すのではなくて、許した分を、向こうの罪を、自分が背負う。もう菩薩さまですね。石牟礼さんは、誰かのせいにはせず「たまわりもの」ととらえる考え方が庶民の中にあったいいます。
共感します。そしてそれこそが日本文化の核心ではないかという気がします。
究極のポジティブシンキングです。
それを壊したのは誰なのか。
もちろん私たち自身です。
そして、石牟礼さんはこう続けます。水
俣は日本の近代化のマイナスを引き受けたんですよ。それを日本人に忘れてほしくないと思います。心から共感します。
教養がなくなりましたね。教養をひけらかす必要はないけれど、今は「バカ」を売りものにするのが受けているようです。あんなテレビを見ていたら、子どもはみんなバカになりますよ。教養は品性をつくるものですが、品性がなくなりました。
まあ、私も「ハンマーカンマー」などと「バカ」を露呈してしまっていますので、いささか心が痛みますが。
「苦海浄土』と同じく私の生き方に影響を与えた本が、岩波新書の「水俣病」(原田正純)です。
この本は、それこそ心身のふるえがとまらなくなるほどのすごい本でした。
その中に、ずっと記憶から離れない記述がありました。
それを思い出して探してみました。
こういう記述です。
(水銀汚染が)微量な場合は粗大な身体症状がみられず、一般の精神薄弱と鑑別診断が困難なような例が生まれるであろう。これは、水銀だけの問題でないから、人類は徐々に知的機能のレべル低下をきたすであろう。そのほうが人類にとってかえって幸せかもしれないなどうそぶいているわけにはいかない。事態は今まさにそこまで来ているのである。(同書238頁)今から35年以上前に、原田さんには見えていたのです。
35年後の社会も、きっと見えているでしょう。
いえ、私たちにも見えるはずです。
見ようとしていないだけなのかもしれません。
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