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2008/08/05

■節子への挽歌338:人を幸せにする最高のものは理解者の存在

節子の友人だった長沼さんから2回、聞かされた話です。
節子さんは、修さんの活動が自慢でしたよ。

私には自慢できるほどのことはないので、節子が何を自慢していたのかわかりませんが、
節子が私の生き方に共感していたことは間違いありません。
具体的にいえば「人を差別しない生き方」です。
それが十分にできているかどうかは不安ですが、少なくともそうありたいと思っています。

私と一緒に湯島で仕事をしていると、いろんな人に対する私の対応が見えてきます。
湯島のオフィスには、実にいろんな人がやってきました。
テレビや新聞で見る人も来ましたが、直接会うと、必ずといっていいくらい、人の本質は見えてきます。
節子もそれを感じたはずです。

あまりにいろいろな人が来て、私がいとも簡単に相談に乗って時間破産するのを見て、最初の頃は、節子からよく「あなたは利用されているだけよ」といわれました。
たしかにそういう面はありました。
時には不愉快な思いをすることもないわけではありません。
しかし、利用されてもその人に役立てるのであればいいじゃないか、と思っていました。
それに、人を利用する人にはそれなりの事情があるのです。
騙す人と騙される人と、どちらが不幸かといえば、間違いなく騙す人でしょう。
騙される人には、騙される余裕がありますが、騙す人にはその余裕さえないのです。
もちろん例外はあるでしょうが、そう思います。

節子も私と一緒に仕事をしているうちに、少しだけ私の考えに近づきました。
肩書きや世評がどれほどのものかも理解してきたように思います。
そうして、私の生き方を理解し、共感し、支えてくれるようになったのです。
私が騙されることにも、理解してくれるようになった気がします。

しかし考えてみると、そういう生き方は、実は私よりも節子のものだったのです。
私が節子から学んだ生き方かもしれません。
節子は、人を差別することなく、素直に生きていました。
いや、そうしたことは、女性の生き方なのかもしれません。
人を差別するのは、もしかしたら男性の文化かもしれません。
もっとも、最近はそうした女性(差別力を持った女性)も多くなってきましたが。

それはともかく、節子は私の良き理解者でした。
理解してくれる人がいることの安堵感はとても大きいです。
節子もまた、私という理解者を得て、安堵していたと思います。

最近、若者たちが起こす悲しい事件が多いですが、
もしまわりに1人でも自分のことを理解している人がいることを実感できたら、事件を起こさずにすんだのではないかと思われることが多いです。
私が実に幸せだったのは、私のことを心底理解してくれる節子が、いつもそばにいてくれたことです。
私のようにわがままに生きていると、その真意を理解してもらえないことは少なくありません。
私のことを中途半端に知っている人ほど、私を決め付けることが多いような気もします。
時に、その発言に悲しくなることもありますが、節子が私の真実を理解してくれていると思えば、どんな中傷も批判も超えられました。

その最高の理解者だった節子がいなくなったことが、私の行動の持続力や勢いを削いでいることに最近やっと気づきました。
人を幸せにする最高のものは、たぶん理解者の存在です。

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