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2008/08/08

■嘘をつくことから始まる不幸

埼玉県川口市で父親刺殺事件を起こした中学3年の長女が、県警の調べに「成績が下がったことを親に知られる前に、家族を殺して自殺しようと思った」と話していると新聞が報じています。
同時に、「人の顔色を見ながら、友達に嫌われないように生きていくのに疲れた。事件の数週間前からすべてを終わりにしたいと考えていた」とも話しているそうです。

ボードリヤールは著書「不可能な交換」で、こうした事件への警告を発しています。
この本を読むと、昨今のさまざまな不条理な事件の「不条理性」の所在が納得できます。
たとえば、1990年代に話題になった殺人犯ロマンスの事例が紹介されています。ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

医師国家試験に失敗したことを家族に打ち明けられず、彼は生活を完全に二重化し、医者になったという嘘をつきとおし、あらゆる手段を講じて生活費をかき集めて家族を養っていたが、ある日、両親も妻も子どもたちもひとり残らず殺害してしまった。不思議なことに、最後の瞬間で殺されなかったのは、彼の愛人だけだった。
なぜこんな大量殺人が起こったのか。医者でないことが暴露される直前に、今まで彼を信じていた者たちの信頼を失うことに耐えられなくなったからだ。彼らは真実を発見してはならなかったのである。そのための唯一の解決は、彼らを抹殺することだ。彼が自殺しても、家族の目から嘘を消すことはできない。すべては論理的だ。こうして、彼は真実を知ることの恥を家族から免除したのだった。
愛人が殺されなかったことの意味も含めて、この話には現代を読み解く大きなヒントが含まれています。
ロマンスの動機については、おそらくほとんどの人がある程度理解できるでしょう。
しかし、それが実際の殺人にまでいってしまうことには、社会の風潮や価値観がからんでいます。
つまり、個人の問題を超えているように思います。
具体的にいえば、「虚構の世界」と「真実の世界」との位置づけが関係します。
前から指摘しているように、今の日本は政治家や財界人によって、嘘が否定されずことなく、むしろ奨励されている時代です。
虚構の世界のほうが、表になってしまっています。
その世界では、むしろ自らが創りあげた虚構を基軸に考えることが違和感なく行われがちです。
つまり、嘘を本当にしなければいけなくなってしまうのですが、そのやり方が実体を変えるのではなく、実態をなくしてしまうということになるわけです。
そうして社会が壊れていく。
年金の虚構もそのひとつでしょう。
今の解決策は、この発想の延長に乗っていますので、次々と問題は起きてくるわけです。

その構図が確定したのは、森内閣から小泉内閣時代にかけてだと思います。
青木さんは嘘を取り繕うとしましたが、小泉さんは嘘をつくことを自慢したとさえ私には思えます
そして、嘘を知っても、誰も異議申し立てをしなくなったのです。
その後、今に至る前、嘘は政界や経済界や教育界を堂々と飛び回っているような気がします。
嘘に身を任せれば、楽な人生が送れるということも、あながち「嘘」でもないのです。
もちろん本当は嘘ですが。

「人の顔色を見ながら」に関しては、CWSコモンズの週間報告で少し言及しますが(アップは10日です)、それも含めて、社会は壊れだしているのです。
その修復は、身近な付き合いから始めなければいけないと思います。
首相の嘘は断罪できなくとも、自分の嘘はやめられます。
嘘をついてはいけないことを、もっと私たちは大切にすべきです。
そうすれば、きっとみんな幸せになり、飛躍しますが、地球温暖化も解決するでしょう。
そんな気がしています。
嘘はつかない、それが私の信条の一つです。

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