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2008/08/02

■節子への挽歌335:節子のいない花火大会

節子
今日は手賀沼の花火大会でした。
自宅の目の前が花火会場なので、わが家からは花火を満喫できます。
水上花火も高いところから見下ろせますので、水面に映った全景を見ることができます。
しかし、考えてみると、節子とゆっくりとこの花火を満喫したことがなかったですね。
いつもお客様があったので、節子はばたばたしていたような記憶があります。
節子はいつも「おもてなしの人」でした。

初めて節子と一緒に花火を見たのは、滋賀県の瀬田川でした。
一緒に暮らし始めた年の夏だったと思いますが、瀬田川のすぐ近くに家を借りていましたので、2人で花火会場まで歩いて行った記憶があります。
熱海の花火にも行きました。
しかし、節子が一度行こうといっていた隅田川の花火は、結局、行かずじまいでした。

手賀沼の花火は目の前ですから、迫力があります。
音がともかく凄いのです。
まさに「腹に響く」のです。
犬のチャッピーは、それに耐えられないので、花火の日はいつも外泊です。
昨年のことは思い出したくないですが、自宅療養していた節子にはかなり身体に応えたはずです。
ベッドから隣家の屋根越しにわずかに見える花火を少しだけ見ましたが、辛そうでした。
お客様は何人か来てくれていましたが、私と節子は花火を見ることもありませんでした。
もうこれ以上、思い出したくありませんが。

今年はむすめの友人夫婦をはじめ10人ほどの人がやってきました。
私の友人は来なかったので、今年はゆっくりと花火を見られるはずでしたが、
節子がいないので、見る気にもなりません。
見ていても楽しくないのです。
何をするのも、いつも隣に節子がいたのが私のこれまでの人生でした。
たとえ1人だったとしても、帰宅したら節子と体験をシェアできました。
体験をシェアできる伴侶がいないいま、生きることの虚しさを痛感します。

花火が昨年のことをあまりに生々しく思い出させてしまったためか、今日はとても気持ちが沈んでしまっています。
花火がこんなにも悲しいものなのかと驚かされました。
同じ風景も、状況が違うと正反対に見えることがよくわかりました。

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