■政治家はみんな成長を目指すのか
今回の内閣改造で、いわゆる「上げ潮派」が排除され、増税派で固められたというような論調がでています。
そう言われるとそうですが、今朝のテレビで、どなたかが(笹川総務会長?)、政治家はみんな成長を求めていると発言されていました。
日本の政治家は、財界の人たちと同じように、まだ「成長神話」から目覚めていないのでしょうか。
「成長」とは何かを、もっと真剣に考えるべき時期に来ていると思いますが、ローマクラブの問題提起からもう40年近くたっているのに、いまだ「持続可能な成長」論によって、お茶を濁しているのが現実です。
「成長」も「増税」も、いずれも手段でしかありません。
これまでも書いているように、現代は「手段ばかりが語られる時代」ですが、大切なのは「目的」であり、「価値」です。
「無駄ゼロ」などというナンセンスな言葉も流行していますが、何が無駄かもまた、目的や価値基準によって大きく変わります。
最近話題の官僚の無駄づかいは、「無駄」ではなく「背任」「犯罪」ですが、それらを「無駄」と考えるところに、すでに「成長」や「増税」の目的が見えてきます。
官僚の無駄遣いが「無駄」だとすれば、最大の「無駄」は、政治のシステムです。
まあ、これはまた「無駄な一言」ですが。
こう考えていくと、「目的不在の手段」が論点になっているわけではなく、実は「巧妙に隠された目的」の視点から「手段」が語られているような気もします。
笹川総務会長が、テレビで、閣僚たちはIQが高いから胸のうちは明かさないと発言していましたが、高いIQが向く方向が違っていれば、社会は壊れる一方です。
これも無駄とはいわれませんが、それ以上の背任行為だと私は思います。
産業主義に基づくIQの概念も測定方向も問題なのでしょうが、もしIQが人間の知の深さに多少なりとも関係があるのであれば、それが社会を豊かにする方向に使われない社会は、不幸です。
それこそ「無駄の多い社会」でしょう。
政治家に必要なのはIQではなく「志」ではないかというのは、時代遅れなのかもしれません。
そろそろ「経済成長神話」から抜け出る「成長」をしたいものです。
大きなビジョンがなければ、何をやっても、それこそ「無駄」になりかねません。
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コメント
このブログを時々読ませていただいています。いつもいつも同感と言うわけではないのですが、今回のテーマに関してはかなり共感しています。経済成長は目的ではなく手段ですよね。それでは、目的は何だと言われると、漠然としますが「幸せ」ということになるのでしょうか。でも、そもそも「幸せ」って何だ。とか、誰がどれくらい「幸せ」になればよいのかといった極めて抽象的な概念になってしまって、「幸せ」度を計量化することはほとんど不可能でしょう。しかし、温暖化問題や生物多様性問題を少しでも真面目に考えるときに、「経済成長」が目的的に記述されることに違和感があります。「経済」に目を向けることは大切なことで、経済的に成立しなければ何事も成しえないことは分かっています。でも、経済はあくまで「手段」であって、その先の「目的」あるいは「志」とは何かということを問い続けることが大切なように思います。「持続可能な・・」を単なるお題目ではなく、何が持続可能でなければならないのか、・・議論を深めていきたいと思います。
投稿: tobase | 2008/08/04 21:50
tobaseさん
ありがとうございます。
このブログはかなり偏った意見も多く、「いつもいつも同感」の方がもしいるとすれば、むしろ問題かもしれません。
書いている私自身が、時々、意見を変えてしまいますので、実は私も「いつもいつも同感」でもないのです。書いた時にはもちろんそう考えているのですが、間違いの記事も少なくないのです。
それはともかく、
「幸せ」度の計量化ですが、一時期、ブータンのGNH(国民総幸福度)が話題になったことがあります。
私もこのブログで何回か書こうと思ったことがありますが、結局書けませんでした。
賛否を鮮明にできなかったのです。
計量化した途端に、全く正反対のものになるような気がしますし、事実、ブータンではいろいろと問題もありそうです。
国家体制が変わったので、おそらくこれからGNHの実態と本質が見えてくると思います。
「成長」の目的に関しても、悩ましさを感じています。
私の友人は最近出版した本「新・挑戦する独創企業」(来週、私のホームページで紹介する予定です)で、「企業経営は、量的拡大を志向する成長モデルと、質的向上を志向する発展モデルとに大別することができる」と述べています。
「企業経営」というところを、「経済」に置き換えてもいいかもしれません。
さらにいえば、「持続可能」とはとどまっていることではないと思います。
生きている環境のなかでは、留まっていては「持続」できません。
生きつづけることは必然的に変化を求めます。
問題は、その「変化」を測定する基準なのでしょうが、単にその基準ではなく、基準の設定の考え方そのものが問われているような気がします。
このあたりは、私ももう少し考えたいと思っています。
また機会があれば、ぜひ議論させてください。
投稿: 佐藤修 | 2008/08/05 15:36