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2008/08/21

■ちょっとおかしいのではないかと思うこと

昨日、民主党の代表選挙に関して、ちょっとおかしいと思うことを書きましたが、この種の話は山ほどあります。
今日はうっぷん晴らしを兼ねて、それを書きます。

高速道路無料化の議論が出た時に、そんなバカなという論調が多かったですが、有料であることのほうにこそ、私はそんなバカなという気がしていました。
無料にした方が、経済的にも無駄がないはずですし、国庫負担も少なくなるでしょう。
税金で道路をつくり、それで稼ぐ会社ができるのはどうも違和感があります。
受益者主義が言われますが、受益者は国民ではなく自動車会社です。
高速道路の受益者は自動車のドライバーだと言う人がいるかもしれませんが、道路は歩行道路も含めてすべてつながっています。
高速道路を走る自動車だけが受益者ではありません。
さらに、高速道路通行料は、物品の輸送を通して、ほとんどすべての国民に関係していきます。
道路は文化ホールとは違うのです。
その違いさえわからないで、何が公共投資だと、私は世の公共論者に腹が立つのです。
高速道路料金は無料にするのがいいでしょう。
雇用と官僚や政治家の私腹は減るでしょうが、国民の多くは負担が減るはずです。
しかし、多くの国民は、まじめに考えようともしません。
高速道路は有料だと思い込んでいるからです。

厚生労働省は、来年度からメタボリックシンドロームを主眼にした新しい健康診断を始めることを考えているそうです。
これでまた税金の無駄遣いが始まるでしょう。
もっとやるべきことがあるでしょうに、厚生労働省は、相変わらず市場創出に余念がありません。
官僚の事業創出は税金の消費でしかありません。
どこまでやれば気が済むのか。
国民のメタボを問題にする前に、無駄な贅肉ばかりの自分の省のメタボ対策をやってほしいものです。

福田首相が何回も言っている「平和協力国家」ということばも不思議な言葉です。
「平和憲法」をないがしろにして、何が「平和」だといいたいですが、
一方の戦力に味方していることをもって平和協力という神経が私には理解できません。
戦争もまた平和を目指した行為ともいえますので、平和協力国家とは戦争国家でもあるわけです。
それにしても、「平和に協力」という言葉は不思議な言葉です。

あげだしたらきりがありませんね。
憂さ晴らしどころか、ますます憂鬱になりそうなので、やめましょう。

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