■節子への挽歌343:金魚が死んだらどうなるか
先週、ホームページのほうにも書いたのですが、
暑さのせいか、金魚が次々と死んでしまいました。
今年の暑さは金魚にもこたえたようです。
長年元気だったタナゴまでがほぼ全滅なのです。
わが家の庭の池は、私の還暦祝いに節子と娘たちが贈ってくれたものです。
節子は庭に穴を開けるのはよくないという考えを持っていましたし、娘は池の手入れが大変なのを知っていたため、みんな池は作りたくなかったのです。
しかし、私の還暦祝いに池をプレゼントしてくれました。
そういう池なのです。
その池の金魚やなぜか続けて死んでしまいました。
金魚が死んだらどうなるか。
金魚が泣いたら地球が揺れることを思い出しました。
挽歌56の「結婚前は毎日詩を贈っていました」で書きましたが、
私の気に入っている詩の一つが、
「金魚が泣いたら地球が揺れた」なのです。
この詩は、残念ながら世に出ませんでしたので、その詩を読んだのは節子だけでした。
節子は感動しませんでした。
残念ながら節子には詩というものがわからなかったのです。
困ったものです。
しかし、この題名を読んだだけで、笑ってしまったという「不届き者」も、
このブログの読者にもいますので、詩人にとっては生きにくい時代です。
金魚シリーズ第2作に挑戦してもいいのですが、今回はやめておきましょう。
あの「名作」を汚すわけにはいきません。
しかし金魚が死んだらどうなるか。
それは結構明確なのです。
私の池の一つ(今は2つあります)が壊されるのです。
生前、節子まで池は一つでいいんじゃないの、と不届きな発言をしていたので、池反対派の家族によって池の埋め立てが始まるのです。
それは何としても避けねばいけません。
自然は一度壊すともう元に戻りません。
まあわが家の池は、30分もあれば復元できますが、大切なのは「思想」です、
家族は誰も理解しませんが。
しかし、以前は、たとえ反対派であろうと節子は必ず最後は私の味方でしたが、その節子はいませんから、今度は勝ち目がないのです。
それで壊れていた水の循環を行うモーターを買うことにしました。
娘たちの反対の理由の一つは、私が手入れをしないからなのです。
自然は、人が適度に関わることによって、人との関係を良好にしていきます。
我が家の畑を見れば、それは一目瞭然です。
何を書いているのか、わからなくなってきました。
すみません。
要は、節子はいつでも最後は私の味方だったということです。
いや、そんなことを書くつもりではなかったはずですね。
困ったものです。
今日は久しぶりに涼しいです。
突然気温が変わると調子が狂います。
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コメント
はい!私も「不届きも者」の一人です。
しかし、この詩には、「笑の効用」が“含蓄”に富む素晴らしい「詩」だと、思いますが・・・・。
投稿: 根本 賢二 | 2008/08/15 21:43