■節子への挽歌353:それでも私は元気です
返事を出せずにいた暑中見舞いのハガキが机の上にずっとありました。
いつもそのハガキをみながら、でも何もできずにいました。
昨日、ようやくメールを出しました。
全く内容のない、単なる暑中見舞いありがとうメールでしたが。
そのハガキには、手書きで次の一文が書き添えてありました。
暑くなると父が亡くなった夏を思い出します。「それでも私は元気です」
それでも私は元気です。
ジーンとくるのは私だけでしょうか。
彼女はまだシングルです。
親しいというわけでもないのですが、ある時に突然、悩みを打ち明けてきたことがあります。
的確なアドバイスができずに、ただ聞いてやることしか出来ませんでした。
とても個性的で、よい意味での現代っ子です。
いえ、もう「子」と言う年代ではありません。
悩みながら、自分の人生をしっかりと生きている人でもあります。
その彼女が、もう数年もたっているはずの父の死を克服できずにいるのです。
「それでも私は元気です」
いろんな受け止め方はあります。
私へのエールとも受け止められます。
彼女らしいエールではあります。
しかし、これは反語と受け止めるべきでしょう。
元気といっておかないと元気を維持できないのです。
そして、その元気の奥にある気持ちを伝えたいという気持ちを感じます。
実は私が、全くそうなのです。
元気であって、元気でない。
元気でなくて、元気である。
そういう複雑な心境なのです。
「それでも私は元気です」
毎日、この言葉に悩まされていたのですが、メールを送ってようやく解放されました。
人の元気の後ろにある、さまざまな悲しさや悩みを理解できる人間になりたいと思いますが、まだまだなれない自分にがっかりします。
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