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2008/08/07

■節子への挽歌340:異邦人

昨夜は暑くてあまり眠れませんでした。
今日も暑きなりそうです。
殺人の動機について問われて、「それは太陽のせいだ」と答えたムルソーを思い出します。
カミユの「異邦人」は、同じカミユの「ペスト」と並んで、私の生き方に大きな影響を与えた小説です。
「不条理」という言葉を知ったのも、カミユのおかげです。

ところで、いま気づいたのですが、私の読書傾向は節子と出会ってから一変したような気がします。
一番大きな変化は、小説を読まなくなりました。
節子と結婚してからは、カミユもカフカも読まなくなったような気がします。
結婚してからも読んでいたのは、光瀬龍の未来年代記くらいでしょうか。
それも次第に読まなくなり、結局、小説はほとんど読まなくなりました。
きっと読む必要がなくなったからでしょう。

この暑さに誘われたせいではないのですが、最近、なぜかカミユが読みたくなりました。
そういえば、カミユの「異邦人」は、「今日、ママンが死んだ」という有名な文章で始まります。
母親の葬儀に行ったムルソーが、そこで思わぬ事件に巻き込まれ、人生が一変していくのです。
手元に「異邦人」がないので、うろ覚えなのですが、母を失ったムルソーの複雑な気持ちは、誰にもわかってもらえません。
ムルソーの不条理な気持ちをだれもわかってくれないという不条理さ。
カミユはそこに「異邦人」をみるのです。

前にも書きましたが、節子がいなくなった世界では、私はまさに「異邦人」だったような気がします。
いや、いまもそうかもしれません。
時に「同邦の人」に会うことはありますが、やはりほとんどが異邦人に感じます。
つまり私自身が「異邦人」になったということです。
そして、異邦人になると、自分を囲んでいる世界の本質が見えてきます。
言葉の裏にある実体も不思議なほどに見えてきます。
もっともそれが真実なのかどうかは大いに疑問があります。
異邦人の目に映る世界は、いささかゆがんでいることは、自分でもよくわかります。

節子との別れは、もしかしたら「異邦人」を読んだ時に、もうわかっていたのではないか。
ふと、そんな気がしてきました。
これも「太陽のせい」かもしれません。
今日の暑さも、尋常ではありません。

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