■節子への挽歌351:物語のはじまり
節子
あなたが彼岸に戻った翌日は、肌寒いほどのさびしい日になってしまいました。
明け方はさわやかさもあり、節子が「暑さ」を持っていてくれたのだと思っていましたが、どうもそうではなく、午後から雨になり、とても悲しい1日になりました。
前日までとのあまりの違いに、節子を思い出さずに入られませんでした。
あなたは、もっと長く自宅にいたかったのでしょうか。
そんなことはないですよね。
あなたはいつも自宅にいるのですから。
もちろん彼岸にも、ですが。
昨日は家族みんなが少し放心していたような気がします。
私はだらしなく夏風邪を引いてしまったようで、のどをやられてしまいました。
今月は、まだ施餓鬼会があり、一周忌もあります。
それが終わるまではしゃんとしていなくてはいけないのですが、まあ、私の場合は、しゃんとしたところで高が知れていますので、適度に風邪を引いているほうが私らしいかもしれません。
今日はまた、昨日とは打って変わってよい天気です。
暑くなりそうです。
それもまた節子につなげて解釈すると、いろいろな物語が創れます。
自然の動きや人の動きは、見事なほどに「物語」になることを、最近感じています。
もちろん、節子につながる物語です。
私の頭の中には、最近は節子のことしかないからでしょうが、どこかでみんな節子につながるのです。
人間はこうやって、自分の主観で世界を解釈し、物語を創っていくのだと、つくづく思います。
節子でさえそうですから、たとえばイエスやシッタルダの場合は、多くの人がたくさんの物語を創りだしていったことでしょう。
しかもそれらは共振しながら、大きな物語へと育っていた。
聖書も経典も、生まれるべくして生まれたことがよくわかります。
そしてそこに書かれていることのすべてが、ある人の小さな体験や思いから始まったのでしょう。
そう思うと、聖書や経典にも親しみを感じます。
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