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2008/09/18

■home lifeとlife with family

先日、某シンクタンクの研究者と話していて、話題が家族のことになりました。
私が社会の基本は家族だというようなことを言ったのがきっかけでした。
そうしたら、その人がアメリカでは、従業員の多様な生き方を認めるということで、家族という言葉は注意して使われているようだというのです。
つまり、家族とともにある従業員の生き方は、いまや所与のものではないというのです。

私も30年ほど前、「家族」というものが大きく変質するだろうと思っていました。
20年ほど前に「住まい方研究」というプロジェクトに参加した時には、「核家族」ならぬ「拡家族」と称して、血縁から解放されたミニコミューンのようなものが社会の基本単位になるのではないかと提案したこともあります。
しかしたとえミニコミューンが拡がったとしても、さらにその基本になる「家族」はやはり大事だと思い出してきました。
その「家族」の本質は、血縁ではなく親子です。つまり「育児」が社会の基本ユニットになるという考えです。
育児あるいは親子関係は、結婚を前提にはしません。
里親関係もありますし、養子関係もある。
場合によっては、師弟関係でもいいかもしれません。
しかし少なくとも時間の要素が入った関係がダイナミックな社会の基本単位としては望ましいと思います。

話を戻して、アメリカの話です、彼が言うには、アメリカの企業に関するマニフェストなどでは、home lifeという言葉やfamilyと言う言葉はよく出てきても、life with familyと言う言葉はあまり出てこないというのです。
home lifeとlife with familyは、明らかにニュアンスが違います。
家庭生活と家族生活でしょうか。
話を膨らませてしまえば、home based societyかfamily based societyか、家庭社会か家族社会か、です。

まだ整理できていませんが、この話にはなんだかとても大きな意味が含まれているような気がしています。

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