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2008/09/06

■節子への挽歌371:仏花にバラはダメなのか

私は、いわゆる「仏花」があまり好きになれません。
今回の一周忌にもたくさんの花をいただいたのですが、一周忌ということもあり、仏花らしい花も少なくありませんでしたので、こんなことを言うと送ってくれた人に大変失礼になるかと思いますが、また書くことにします。
お許しください。

一周忌の供養に、お寺の本堂に供える花を娘に頼みました。
いつもお願いしている花屋さんが臨時休業だったので、違う花屋さんに行きました。
一周忌の花だといったら、まず相場は5000円ですといわれたそうです。
そして花もほとんど決まっているそうです。
娘は、それを無視して、バラを入れてくださいと頼んだのです。
節子が赤いバラが好きだったからです。
そうしたらお店の人は、仏花にはバラは入れられませんと言うのだそうです。
それで私に電話がかかってきました。

私は娘と同じく、バラを希望しました。
もしダメなら仏花としてではなくアレンジしてもらえばいいといったのです。
花屋さんも、お寺との関係で「非常識」のことはできないのでしょう。
いろいろと応酬があったようです。
どこのお寺かとも聞かれたようです。
幸いにわが家は、自分流を通すことをご住職も知っていますし、
娘と若住職は小さい時からの知り合いでもあるのです。
それで娘は花屋さんの意見を押し切って、可愛い花束を完成させてくれました。
そこに義理の姉が持ってきてくれた、自分で育てた蓮のつぼみを入れました。
お寺の奥さんがとてもうまく活けてくれたので、5000円の相場以下でもわが家的な花束になりました。
もちろんお寺はバラがダメなどとは一切言いませんでした。

仏花にバラはつかわない。
葬儀の時に、私も葬儀社ともめましたので、私もそれをよく知っています。
しかし、なぜ仏事にバラを使わないのか。
それが常識だという人もいますが、それこそ自分勝手な非常識だと思います。
トゲのないバラは最近仏事でも使うようになっているはずですが、トゲがあっても故人が好きなら使えるようにするべきです。
故人に合わせてこそ、供養に心が入ります。
葬儀社やお寺のためにやるわけではありません。

私より数年先に、伴侶を見送った竹澤さんは、葬儀の時、みなさんにバラをお渡ししたそうです。

夫の好きなウイーンの公園にあったピンクのト音記号を白の花の中に書きました。
お帰りに夫の好きだったバラを一本ずつラップして頂きお持ち帰り頂ました。
バラは葬儀には使用しないそうで葬儀屋さんから断られ、お花屋さんに頼んで。
法事というとなぜかみんな「仏花」イメージに拘束されがちです。
白と紫色が基調です。
しかしお寺は決して無彩色の世界ではありません。
暖色もふんだんに使った、暖かな賑やかな色の世界です。
有名なチベットの砂マンダラを思い出せば納得してもらえるでしょう。

法事の主役は故人と遺族です。
仏教関連の産業界が勝手に創りあげた「常識」に拘束されることはありません。
花屋さんも、献花や供花の意味を考えてほしいものです。

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