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2008/09/20

■節子への挽歌385:無念さの中での祈り

暑い夏は病気を持つ人には辛い季節かもしれません。
昨年の夏は、節子にとっては大変な月でした。
思い出すだけでまだ動悸が高まり、頭が白くなります。

しばらく連絡がなかった若い友人からメールが来ました。
彼の友人が末期がんで亡くなったのだそうです。
まだ30代。小さい子どももいるそうです。
「これからという時に死ぬ無念さは計り知れません。
いろいろ自分のこれからについて真剣に考えねばと思いました。」
と書いてきました。
「無念さ」
まさに「無念さ」です。
死にあるのは、当事者にとってさえ「恐ろしさ」ではなく「無念さ」です。
節子と一緒にいて、そう感じました。

近くの方が相談に来ました。
お世話になっている人が肝臓がんなのですが、8月になって調子が悪くなったようでどうしたらいいかわからないと相談に来たのです。
彼女は相談相手が近くにはいないのです。
節子を見送る前であれば、治癒力を高めるためにこんなものがあるとか、こういうこともいいかもしれないなどと言ったかもしれません。
しかし、今の私にはとても言えません。
「奇跡を信じて祈るしかない」ことを知ってしまったからです。
何もできない無念さを噛みしめて、祈るしかない。
しかも、奇跡が起こることを強く信じて、です。

「無念さ」はいろいろありますが、死に発する「無念さ」は特別のものです。
悔しいとか残念さとはちょっと違うのです。
なにしろ復元しようのない現実への直面なのですから、文字通り「取り返しようのない喪失」であり、新しい世界への移行です。
これまでのあらゆるものが、一挙に崩れ去ります。
価値も価値観も、です。
つまりこれまで営々と築き上げてきた自分の世界が、一挙に失われるのです。
仏教での「無念さ」は、無心、夢想と同じく、囚われた心がないことです。
もちろんそれとも違いますが、どこかで少しつながっています。

人生は本当に無常です。
無念さの中で、私も祈らせてもらっています。


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