■節子への挽歌380:観音の慈悲
節子
今日、自宅に戻ってきました。
昨日帰る予定だったのですが、敦賀の姉夫婦に引き止められてしまったのです。
私自身は節子がいる自宅に早く戻りたかったのですが、姉夫婦の気持ちを考えると帰れなくなりました。
妹をなくした姉にとっては、私がいることで節子のことを感じられるのかもしれません。
それで昨日は、節子の両親の墓に報告に行った後、姉夫婦と節子と一緒によくいっていた高月の観音に会いに行ってきました。
節子の実家は滋賀の高月町です。
高月町は「かんのんの里」として有名です。
井上靖が絶賛した渡岸寺の十一面観音があるばかりでなく、周辺に素晴らしい観音様がたくさんいます。
今回は渡岸寺と石道寺の十一面観音をお参りしました。
ところがです。
2人の観音様のいずれもがなんだか以前と違うのです。
輝いていないというか、とても小さく見えるのです。
こんなに退屈な観音様だったとさえ一瞬思ってしまいました。
私の気が萎えているのかもしれません。
節子が観音の生気を持っていってしまったのかもしれません。
不謹慎ですが、とても失望してしまいました。
実は、私を節子に引き合わせてくれたのは、観音たちだという思いが、私にはずっとあります。
そして節子は何時のころか、私には観音のように感じられるようになりました。
観音が節子に乗り移り、その節子が逝ってしまった。
観音はもう私には無縁の存在になったのかもしれません。
そんな気がしてきました。
節子との暮らしは、観音に恋した私に、観音が見させてくれた一夜の夢だったのかもしれません。
観音の慈悲とは何なのでしょうか。
それを確かめる方法が一つあります。
いつか確かめてみるつもりです。
また報告できるかもしれません。
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