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2008/09/16

■節子への挽歌381:節子がいろいろなところに残している贈り物

節子
敦賀で西福寺に行ってきました。
最後に節子と来た時には阿弥陀堂が改修中だったおかげで、足組みを使って屋根裏まで上らせてもらえました。
節子も初めての経験で喜んでいました
ライトアップされた庭も幻想的でした。
節子も私も、改修が終えたらまた来ようといっていたのに、それが実現できませんでした。
とても無念で、でも敦賀に行ったら、ここだけはもう一度行こうと心に決めていました。

改修は終わっていました。
入り口に参拝者の記帳簿がありましたので、節子の名前を探しましたが、なぜか出てきません。
何回も見直したのですが、出てきません。
一度は諦めたのですが、絶対に署名したはずだと思い、もう一度調べてみました。
念のために前の年を調べてみたら、そこにありました。
080914_22年続けてきていたのです。
最後の時は夜でしたので、記帳しなかったのです。
見慣れた節子の字で、私の名前も一緒に書かれていました。
その文字を見た途端に、不思議なあたたかさが心身を包むような気がしました。
久しぶりに節子に会えたようで、とてもうれしい瞬間でした。

私は寺社でも展覧会でも、名前を残すことに消極的ですが、節子は記帳が好きでした。
そしていつも私の名前も書き添えてくれました。
こういう事態を節子は想定していたのでしょうか。
節子が署名してくれていたおかげで、心があたたかくなりました。
これから節子と一緒に行ったところでは、いつも節子の名前を探してみようと思いました。
節子の名前に出会えると、きっとうれしくなるでしょうね。

たった1行の文字ですが、そこに節子の思い出が凝縮しているのです。
節子と一緒に行ったさまざまなところに、こういう形で私たちの名前が残っている。
そこに行けば、節子の肉筆の文字があり、その日のことが鮮明に思い出せるのです。
そう考えるとうれしくなります。
残されたものへのあたたかな贈り物です。
やはり生きた痕跡は、いろんなところに残した方がいいのかもそれません。

今度はどこで節子の名前に出会えるでしょうか。
私のことを、いつもいつも気遣ってくれていた、本当によい女房でした。

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