■節子への挽歌381:節子がいろいろなところに残している贈り物
節子
敦賀で西福寺に行ってきました。
最後に節子と来た時には阿弥陀堂が改修中だったおかげで、足組みを使って屋根裏まで上らせてもらえました。
節子も初めての経験で喜んでいました。
ライトアップされた庭も幻想的でした。
節子も私も、改修が終えたらまた来ようといっていたのに、それが実現できませんでした。
とても無念で、でも敦賀に行ったら、ここだけはもう一度行こうと心に決めていました。
改修は終わっていました。
入り口に参拝者の記帳簿がありましたので、節子の名前を探しましたが、なぜか出てきません。
何回も見直したのですが、出てきません。
一度は諦めたのですが、絶対に署名したはずだと思い、もう一度調べてみました。
念のために前の年を調べてみたら、そこにありました。
2年続けてきていたのです。
最後の時は夜でしたので、記帳しなかったのです。
見慣れた節子の字で、私の名前も一緒に書かれていました。
その文字を見た途端に、不思議なあたたかさが心身を包むような気がしました。
久しぶりに節子に会えたようで、とてもうれしい瞬間でした。
私は寺社でも展覧会でも、名前を残すことに消極的ですが、節子は記帳が好きでした。
そしていつも私の名前も書き添えてくれました。
こういう事態を節子は想定していたのでしょうか。
節子が署名してくれていたおかげで、心があたたかくなりました。
これから節子と一緒に行ったところでは、いつも節子の名前を探してみようと思いました。
節子の名前に出会えると、きっとうれしくなるでしょうね。
たった1行の文字ですが、そこに節子の思い出が凝縮しているのです。
節子と一緒に行ったさまざまなところに、こういう形で私たちの名前が残っている。
そこに行けば、節子の肉筆の文字があり、その日のことが鮮明に思い出せるのです。
そう考えるとうれしくなります。
残されたものへのあたたかな贈り物です。
やはり生きた痕跡は、いろんなところに残した方がいいのかもそれません。
今度はどこで節子の名前に出会えるでしょうか。
私のことを、いつもいつも気遣ってくれていた、本当によい女房でした。
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