■節子への挽歌379:節子は本当に夫不幸な女房です。
節子
今日はあなたに報告したいことが山ほどあります。
おいおい書くとして、まずは節子の両親への報告の話です。
姉夫婦と一緒に節子の実家にあるお墓にお参りし、節子の両親に報告してきました。
節子と何回もお参りしたお墓です。
まさか私一人でお参りすることになろうとは思ってもいませんでした。
お墓の前に立った途端に、節子のすべての思い出が溢れ出てきて、涙をこらえ切れませんでした。
節子をまもってやれなかったことで、節子の両親との約束を守れませんでした。
ほぼすべての人の反対を押し切って、両親が結婚を許してくれたのは、私を信頼してくれたからです。
その信頼に応えることができなかった。
両親にわびる言葉が見つかりませんでした。
節子の実家にはあまりにたくさんの思い出があり、できればもう来たくないと思っています。
生々しい思い出がありすぎます。
節子と一緒でないと、とてもいたたまれません。
それに、道で人に会っても何と挨拶したらいいでしょうか。
みんなからは、「やさしい夫」と思われていました。
今はそれも地に堕ちました。
女房を守ってやれなかった「弱い夫」でしかなかったのですから。
節子の郷里では、節子はいつも私をかばってくれました。
全くの異邦人である私が、みんなに受け入れられたのは節子のおかげです。
節子がいればこそ、この在所での私の居場所もつくれたのです。
そしてそうした経験が、私の人生観にとても大きな影響を与えたことは間違いありません。
思い出すほどに、節子のやさしさが胸を突きます。
墓参りに前後して、いくつかのお寺と観音様のところにいきました。
節子と一緒にいった中でも、2人がとても好きな、そして思い出のあるところです。
その、どこにいっても節子の笑顔が感じられます。
そして寂しさが募ります。
何でお前はいないのか、
何で私一人なのか、
節子は本当に夫不幸な女房です。
悲しくて、寂しくて、恋しくて、愛しくて、仕方がありません。
やはり滋賀には来るべきではありませんでした。
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