■節子への挽歌392:大浦さんとのメールのやりとり
挽歌390を読んだ大浦さんから、メールがきました。
郁代の気持ちに寄り添って頂いてうれしいです。私も似たような思いを時々持ちました。
有り難うございます。
「前の文章は、節子が私たち家族に残してくれた言葉にそっくりです。」
よくわかります。
節子さんと郁代は魂が似通っていたように、私には感じられてなりません。
「そして後者は、私が節子に伝えたかったことなのです。」
私はここで立ち止まります。いつも私が胸に抱えている事だからです。「私が節子に伝えたかったこと」であり、「私が節子に伝えたこと」ではないからです。お別れが近づくと、送られる人は遺される者に対し、精一杯の感謝を伝えます。
「私はしあわせだったよ。ありがとう!」と。
けれども、見送る者は感謝を伝えることが、苦しくて、できません。
「郁代と出会えてお母さんの人生はしあわせだったよ」と私は娘に言ってあげれませんでした。
別れを認める事が怖くて、できませんでした。
でも、娘はその言葉を一番言って欲しかったに違いありません。
毎日、そのことを思っています。そして、涙がとまりません。
「郁代と出会えてお母さんの人生はしあわせだったよ」が、わたしの「伝えたかったこと」でした。
最後にきちんと話さなかったことが悔やまれて仕方がなかった時期がありました。
ですから大浦さんの気持ちは痛いほどわかります。
こんなメールを送りました。
こう考えたらどうでしょうか。大浦さんからメールが来ました。
誠実に対応していれば、伝えたかったことは伝わるものだ、と。
人の心は、言葉とは別に、そして言葉以上に、相手に伝わります。
郁代さんは、大浦さんの心身のすべてから、大浦さんが伝えたかったことを受け止めていたと思います。
そして、なぜその言葉がいえなかったのかもわかっていたでしょう。
私の体験を思い出せば、そんな気がします。私の場合は、妻が病気になる前から、節子のおかげで幸せな人生になれたことを言葉でも伝えていたと思います。
意識はしていませんが、そう思っていたからです。
大浦さんもそうだったのではないですか。節子が息を引き取る直前に、感謝の言葉をきちんと伝えればよかったと思ったことは何回もあります。
しかし、その時は、最後に「ありがとう」というのが精一杯でした。
別れが確実になるのは、最後の最後の一瞬です。
それまでは、大浦さんも書いているように、別れを認めるようなことは一切、できないのが現実です。
最後に冷静に、「いい人生をありがとう」といえるのは、送られるほうだけで、送るほうはそんなことをいえないのが、現実だと思います。
現実は、ドラマとは違うのです。
少なくとも私の場合は、そうでした。
もしまたやり直すことになったとしても、たぶん同じ対応になるでしょう。
そんな気がします。私も、節子に言いたかったことが山のようにあります。
節子もたぶん山のようにあったことでしょう。
でもお互いにいえなかった。
いや言わなかった。
その気になれば、言えた時間はあったはずなのに。
でも話さなくても、愛する者同士は通じているように思います。
私の「伝えたかったこと」を書くことが出来てよかったです。
佐藤さんにならわかって頂けると思うと、気持ちが落ち着きました。
誰かに聞いて貰えるだけでよかったんだと気付きました。
そして、「伝えたかったこと」を書いたんだから、娘にも必ず伝わった、聞いてくれたと思えました。
佐藤さんのブログのおかげで、このような機会が与えられましたこと、感謝いたしております。
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