■節子への挽歌391:曼珠沙華―とても辛かった幸せ
節子
あなたの滋賀の友人から俳画の絵葉書がまた届きました。
無断で掲載してしまいます。
曼珠沙華の絵ですので。
先日から庭に曼珠沙華が咲いています。
この花は凝視できないくらい、たくさんの、しかも重い、節子の思い出があります。
曼珠沙華の球根は有毒です。
それがお墓の周辺に植えられた理由(お墓を動物から守る)だそうです。
そして、彼岸花といわれるように、秋の彼岸の頃に咲くのです。
曼珠沙華の球根をすって、うどん粉でこねて湿布するという民間療法があります。
腹水をなくす効果があるといわれています。
私たちも一度、漢方の薬局に頼んで仕入れてもらって、トライしてみました。
節子は一度でやめました。
あまりあっていなかったようです。
足の裏が炎症をおこしてしまったのです。
当時、私は毎日、節子の足裏をマッサージしていました。
私と節子の、辛いけれども、悲しいけれども、とても幸せな時間でもありました。
曼珠沙華の球根に限らず、わらをもつかむ気持ちで、私たちはいろんなことをやりました。
あまり効果はありませんでしたが、そして節子も私も、娘たちも、みんな辛かったですが、いろんなことに挑戦できるのは、今から考えると実に幸せだったのです。
奇跡のように小さくはありましたが、希望がありました。
なによりも、節子と世界を共有できました。
看病とは、実はとても幸せな時間なのです。
もちろん肉体的にも精神的にも、過酷なほど辛いです。
しかし、目的があり、希望があり、何よりも世界が共有できるのです。
介護疲れで起きる事件は少なくありません。
そうした報道に接した時には、私も節子も、お互いの気持ちがわかるねとよく話しました。
そうした事件には、被害者も加害者もないのです。
新聞やテレビでの解説には、私たちは同意できませんでした。
どんなに過酷でも、結果がどんなに悲惨でも、その瞬間は、2人とも幸せなのです。
誤解されそうですが、私はそう確信しています。
曼珠沙華療法をやめたので、球根がたくさん余りました。
昨年、節子を見送った後、それを庭に植えました。
毎年、節子と共有した、とても辛かった幸せを思い出そうと考えたのです。
庭の曼珠沙華が咲いたよと娘に教えてもらったのは、もうだいぶ前です。
でも今も曼珠沙華は咲いています。
その花を節子に供えようかどうか躊躇していたのですが、節子の親友からの曼珠沙華の俳画を供えることができて、その難問から解放されました。
友だちというのは、心が繋がっているんだと、改めて思いました。
勝っちゃん、ありがとう。
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