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2008/09/02

■マスコミはなぜ首相辞任表明をきちんと糾弾しないのか

もし情報というものが大きな力を持っているとしたら、それを扱うマスコミ関係者はしっかりした使命感と責任をつ必要があります。
どうも最近のマスコミを見ていると、そうした責任感も使命感もなく、ただ営利主義の経済活動という意識しかないような気がしてなりません。
今回の福田首相辞任報道を見ていて、ますますその感を強くしました。

間違っているのは私のほうかもしれませんが、どうもテレビでの報道姿勢やキャスターやコメンテーターの発言には違和感があります。
福田首相の辞任は確かに大きな事件ですが、それを糾弾するように見せながら、その実、自民党の宣伝マンの役割を果たしている人の多さに驚きます。
今日の報道番組で、自民党総裁選挙など興味はなく、問題はそんなところにあるのではない、それをお祭りのように取り上げて肝心の問題を見えなくするマスコミが問題だと、ある人が話していましたが、全く同感です。
しかし、その人もついついそう発言してしまったのか、発言の後、キャスター(小宮さん)に向かって、すみませんと謝っていました。
謝るのは小宮さんだろうと思いましたが、彼女はフォローしませんでした。
がっかりしました。
私が知る限り、そうした認識を持っているキャスターは、古館さんだけですが、彼の番組も古館さんの思いとは別の映像を流したりすることが多いので、たぶん同番組のほとんどの関係者、とりわけ編集者は古館さんのような意識は持ってはいないでしょう。

いろんな政治家も発言していますが、みんな腹に一物がありそうな発言ばかりです。
与党では笹川総務会長が、とても素直に話していますが、それ以外の人はあまりに見え透いた嘘が多いような気がします。
それが政治家だといってしまえば、それまでですが。
首相の辞任表明の内容もなぜもっと糾弾しないのか。
あれは首相の発言としては、とうてい許されるものではないでしょう。
私には犯罪とさえ感じられます。
盗人白々しいという気がします。
船場吉兆の社長と同じレベルだと思います。
わが家の娘たちでさえ、失笑していました。
これが中小企業の経営者だったら、マスコミは徹底的に苛め抜くと思います。
しかしいかにも甘い報道です。
皮肉を言ってごまかしていい話ではないはずです。
日本のジャーナリズムはもう死に絶えたようです。
福田首相も辛かったのですなどとバカな報告をするリポーターにはあきれます。
おまえも少しは辛い思いをして、しっかり調査してレポートしてみろといいたくなります。
芸能ニュースのレポーターのような人が多すぎます。
いえ、それは失礼な言い方ですね。それ以下というべきでしょう。
それに輪をかけて、コメンテーターは脳天気に、福田首相の真似をして「ひとごと」発言しかしません。

長くなりました。項を変えて続けます。

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オーウェルの同時代批評As I Please「気の向くままに」に、まるで現代日本マスコミについて書かれたような記事が。 イギリスを日本に入れ替えるだけでそのままぴったり。小見出し「 [続きを読む]

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