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2008/09/17

■地方の豊かさ

先週から今週初めにかけて、滋賀と福井にいっていました。
びわ湖を自動車で一周しましたが、刈入れ前の水田がたくさんの残っており、見事でした。
熟した稲穂は、まさに黄金色で、日本が「黄金の国」と思われたことがよくわかります。
まさに秋の湖国はジパング。黄金の国です。

びわ湖周辺の緑も見事です。
最近の山は荒れていますが、それでも山林の緑の豊かさには心が休まります。
日本はほんとうに緑に恵まれた国です。
地方に行っていつも思うのは、都会で騒いでいる環境問題への違和感です。
こんなことをいうと怒られそうですが、小賢しい環境活動をする前に、日本の山林のあたたかさに触れたほうがいいと思います。
そうしたら日本の環境運動は変わっていくでしょう。

地方の暮らしの豊かさもまた、うらやましいほどです。
過疎地の生活が「限界集落」などといわれるように、地方は経済的に疲弊しているようなイメージが作られていますが、地方の暮らしは、とても豊かです。
これは私が地方にささやかに関わりだしてからずっと感じていることですが、とりわけこの10年、地方の生活は豊かになってきています。
もちろん「金銭的」にもです。
道路も施設もどんどん作られています。
都会の住民とは全く別の世界です。

環境問題も貧困問題も、たぶん(都市部ではない)地方にはありません。
しかし、それは今の話です。
今の状況を続けていくと、たぶん20年後には地方は本当に疲弊しだすでしょう。
自然と共に暮らしていく知恵も文化もなくなりますし、テレビなどで喧伝されている「貧しい都会生活」に価値を置く教育の成果が一段と強まるでしょう。
生活を支えていた、アフォーダブルな豊かな環境が、一転して、生活を遮断する存在に変わっていきかねません。
それを仕組んでいるのが、今の政治であり、経済であるような気がします。

先週、テレビで黒澤明監督の「七人の侍」が放映されていました。
その最後に、侍のリーダー役の志村喬が「今回も勝ったのは百姓だ」といいますが、20年後の地方はどうなっているでしょうか。

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