■節子への挽歌369:勢至菩薩へのバトンタッチ
一周忌から、節子に同行する菩薩が替わることを、一周忌供養の講話で知りました。
これまでは観音菩薩だったのが、一周忌からは勢至菩薩に担当が替わったのです。
私がむかし、衝撃を受けた三千院の阿弥陀堂の阿弥陀如来は、観音菩薩と勢至菩薩を伴っています。
三千院の阿弥陀堂は、昔は堂内に入れ、そこは船底天井のタイムマシンを思わせる空間でした。
当時は間違いなくタイムトリップできたはずです。
静かな動きのある空間で、阿弥陀三尊が動いているのを感じ、衝撃を受けたのです。
時間軸を仏教世界基準にすれば、1年や2年の時間は瞬時に過ぎません。
10年後にきたら、きっと変化を実感できると確信していました。
そして20年くらい経ってからまた訪ねました。
驚きました。
時間が逆行していたのです。
立ち上がりつつあった脇侍の両菩薩の腰が少し下がっているのです。
もうみんなを救うことを諦めたのでしょうか。
その気持ちが分かるような気もします。
脇侍のひとりが勢至菩薩です。
勢至菩薩は知恵をつかさどる菩薩と言われていますが、そのことに魅かれて、観音菩薩の次に好きな菩薩です。
仏教の知恵には、昔からとても魅力を感じています。
この勢至菩薩の真言は、「オン・サンザン・サンサク・ソワカ」だそうです。
この真言を唱えると、煩悩が消え、知恵が得られそうですが、煩悩を消そうなどとは思っていないので、私はこの真言は唱えません。
私が唱えているのは、節子がいつも唱えていた光明真言です。
節子は寝る前にいつも5回、光明真言を唱えていました。
普通よりも2回多いのですが、そこに節子の思いを私は感じていました。
そうしたちょっとした節子の仕草の意味が、私にはいたいほどよくわかりました。
でも何もしてあげられませんでした。
節子の人生における脇侍の勢至菩薩は。まちがいなく私でした。
その私が、実はあまり知恵がなかったのです。
知識はそれなりにありますが、知恵がないのです。
加えて常識が少し欠落していました。
節子がそれに気づいたのは、結婚して20年くらい経ってからでしょうか。
そこから私たち夫婦の主導権は、節子に移りました。
知識は知恵には勝てないのです。
私にもっと知恵があり、賢明であれば、もしかしたら節子はこんなに早く旅立たなくてもよかったかもしれません。
節子がある時、「知恵の有無が生死を決めるのね」とつぶやいたことがあります。
自分への反省のような口ぶりでしたが、私への不満だったかもしれません。
そんなようななんでもない一言や仕草を、時々思い出します。
これからは本物の勢至菩薩が節子の同行者です。
安心していいでしょう。
私に同行してくれる勢至菩薩は、これまで通り節子ですので、少し頼りないです。
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