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2008/09/23

■節子への挽歌388:胡蝶の夢その2

実は、荘子を思い出したのは、節子の夢を見たからではありません。
大学教授の友人が、私に生命論の試論のスケルトンを送ってきたのです。
そこに、「コトの世界」と「モノの世界」との関係が構造化されて論じられていたのですが、それを見ているうちに、思い出したのがなぜか「荘子」の胡蝶の夢だったのです。
その論文は未完ですが、ぜひ早く読ませてほしいと思っています。

それはともかく、昨日の続きです。
いつもの挽歌とは雰囲気が違いますが、この種のシリーズも結構あるのです。
ずっと読んでいてくださっている方はご存知でしょうが。

斉同なるものの一部が失われ、その失われたものを求めて宇宙を旅する。
そんなショートショートを昔書いたことがあります。
節子と会った頃です。
いまは大学の文学部の教授になっている友人に読んでもらった気がしますが、論評に値しない愚作だったようです。
と、ここまで書いて気づいたのですが、読んでもらった友人も、今回生命論の試論を送ってくれた友人も、何と今は同じ大学の教授です。
何と言う偶然でしょうか。

それはそれとして、その幻のショートショートは、節子も読まされたはずです。
しかし、あの名作「金魚が泣いたら地球が揺れた」と同じく、節子には完全に無視されたのを覚えています。
「なにこれ」と言う感じでした。
全く理解されなかったのです。
天才はいつも孤独です。いやはや。

しかし、今にして思えば、私がなぜ節子と結婚しなければいけなかったのかは、当時、私には明確にわかっていたのです。
自分では全く気づいてはいませんでしたが。
節子は、まさに私だったわけです。
荘子は覚の世界では人間に、夢の世界では胡蝶でしたが、私は同じ世界で節子と私を同時に体現していたわけです。
わかってもらえるでしょうか。
わかってはもらえないでしょうね。
何だか夢のような話ですものね。
しかし、私には何だかはっきりと見えてきたような気がします。

そういえば、節子の位牌の前には、昨年も今年も大きな胡蝶蘭が供えられています。
これも偶然でしょうか。
わけのわからない話に突き合わせてしまいました。
すみません。

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