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2008/09/10

■節子への挽歌375:人生は終わったのに、悲しさは消えないです

今成さんに会いました。
節子には話していませんでしたが、今成さんのパートナーは節子よりも1年先に亡くなりました。
節子と同じ病気でしたので、節子にはとても言えませんでした。
言えないだけではなく、そのことが受け入れられなかったのです。
ですから、それを知りながら今成さんには声をかけられずにいました。
声をかけたら、必ず節子にわかってしまうだろうという奇妙な確信があったのです。
ですから私の中では、そのことは「ないこと」だったのです。

にもかかわらず、今成さんは節子の葬儀に来てくれました。
節子の訃報は私の関係者には原則として伝えなかったのですが、この種の話はまわってしまうもののようです。
落ち着いたら連絡しようと思いながら、なぜか連絡できませんでした。

節子の命日に、今成さんからDVDが届きました。
今成さんの性格を考えると、これは意図されたことではなく、意味のある偶然です。
そのせいか不思議にも自然に会えるような気がしてきました。
DVDは、今成さんが製作した自主映画「おとうふ」です。
奥さんを亡くされた後、今成さんが打ち込んでいた映画だと聞いていました。

そして昨日、今成さんに会いました。
今成さんは、私と同じ意味で元気そうでした。
会うなり、「人生は終わりました」というのです。
私も全く同じ感覚でした。
私たちは、「一つの人生」を終わったのです。

思い出せば、今成さんとの出会いは不思議な出会いでした。
たしか節子には、その話をしたはずです。
今日は2時間半、今成さんと一緒でしたが、なぜかあの最初の出会いを思い出しました。
あの時もこうだったのではないかという気がしました。
もちろんそんなはずはないですが、今回も今成さんは自らの過去と現在と未来のすべてを語りました。
なぜか、彼岸で会っているような気がしました。

別れ際に今成さんがいいました。
「でも悲しさは消えないです」
本当にそうです。
伴侶を亡くした者同士、言葉を介さずとも通ずることがたくさんあります。
一つ肩の荷がおりました。

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