■弱いものをいじめる社会のさびしさ
昨日のテレビニュースでの若の鵬の謝罪会見は見ていてつらかったです。
家族や友人と離れて外国で暮らす20歳の若者を、みんなで駄目にしてしまっているような気がして、しかもそのダメにしている側にいる自分が、なんともやり切れませんでした。
白露山と露鵬も解雇されましたが、この若者たちもたぶんわけのわからないままに人生を踏みにじられたような気がしているかもしれません。
大麻を吸ったかどうかは、私にはわかりませんが、もし吸ったとしてもなんだか私たちが吸わせたような気がしてなりません。
彼らの気持ちを少しでも考えてやる人がいれば、心も休まりますが、関係者はみんな「科学万能主義者」ばかりで、心を感じさせません。
なぜ彼らの心を汲み取れる人がいないのでしょうか。
弱いものいじめはいい加減にしてほしいものです。
飲酒運転をして事故を起こすことに、これほど寛容な社会が、なぜ今回はこれほど冷酷なのか、私には理解できません。
大阪では橋下知事が、「クソ教育委員会」とまたひとも揉めしているようですが、学校の教育力も問題ですが、それ以前の問題として、教育のあり方自体が問われるべきなのかもしれません。
教育のあり方とは、つまるところは社会のあり方です。
教育委員会に、なぜ自己反省の動きが起きないのか不思議ですが、まあ北の湖前理事長と同じく、自分のことは見えてこないのでしょうか。
その明らかな証拠が、大分県の教育委員会です。
自らが犯罪(不正合格に加担もしくは黙認)を行いながら、被害者(合格した教師)を犯罪者に仕上げる姿勢は、まさに弱いものいじめです。
それが最近の学校教育の実態なのでしょう。
不正に合格させたことのない教育委員会が、日本のどこかにあれば教えてほしいものです。
昨日のテレビを見ていて、日本は弱いものいじめの社会になってしまったような寂しさを感じました。
私が子どもの頃は、反対でした。
弱きを助け、強きをくじく、のが奨励されていたように思います。
そういう文化はどこにいったのでしょうか。
教育というのは、いったい何なのか。
私たち一人ひとりの生き方こそが、教育の出発点であることを忘れたくはありません。
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