■節子への挽歌373:倉敷市で語られた節子の名前
節子
一周忌に来てくれた倉敷市の友澤さんからきいた話には驚きました。
先月、倉敷市で前我孫子市長の福嶋さんの講演会があり、友澤さんご夫妻は聴きに行ったのだそうです。
講演後、福嶋さんのところに挨拶に行き、節子のおかげで我孫子市にも縁ができ、昨年,我孫子に行ったと話したのだそうです。
そうしたら、福嶋さんが顔色を変えて、「節子さんは亡くなったのですか」と驚いたのだそうです。
驚いたのは友澤さんご夫妻のほうもで、まさか節子のことを市長が知っているとは思ってもいなかったのです。
それがうれしくて、今回、ぜひとも私に伝えたかったのだそうです。
私もその話にはいささか驚きを感じました。
節子は福嶋前市長とは何回か会っています。
民生委員をしていましたし、我孫子駅前の花壇整備の活動にも取り組んでいました。
でも福嶋さんが節子の名前を覚えていたとは驚きでした。
私も当初は福嶋さんを応援していました。
我孫子市で総合計画を策定する時には、福嶋さんが指名してくれて、私も審議委員になりました。
しかし、次第に福嶋さんの市政は私には違和感のあるものになっていきました。
3期目になってからはあまり良い関係ではありませんでした。
そして2年ほど前に関係は決裂してしまいました。
最後の話し合いに行く時、節子は私に興奮して喧嘩にならないようにと注意しました。
しかし、その注意を私は守ることができませんでした。
そのことを思い出しました。
そんなこともありましたので、この話に私はとても複雑な気持ちになりました。
節子の訃報に驚いて反応してくれた。
ただそれだけの話ですが、何だか急に福嶋さんに会いたい気持ちになりました。
人間は本当に勝手な生き物です。
しかしこの話には節子のメッセージが込められているのかもしれません。
節子は今もなお、私のことを心配してくれているような気がします。
ちょうど友澤さんからこの話を聞いた翌日、我孫子市のNPOの人たちから呼び出され話をしていたら、市議の人たちもやってきてくれました。
そろそろ戻って来いといわれた感じです。
これも節子の差し金でしょうか。
節子
今度福嶋さんに会ったら仲直りするようにします。
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