■食の安全と食育
食の安全・安心が大きく揺らいでいます。
これを「事態の変化」と捉えるか「事態の顕現」と捉えるかで、問題の意味合いは全く変わってきますし、その対応策も変わってくるでしょう。
もちろんそのいずれもが起こっていると思いますが、その場合も、「何が変化したのか」と「なぜ顕現したのか」が問われるべきです。
その問題設定を間違えると、たぶん事態は変わらないでしょう。
変化したのはたぶん「企業文化」あるいは「仕事観の変化」だと思います。
顕現したのは「食文化」あるいは「食事観の変化」です。
生きるうえでの「仕事」や「食事」の意味が大きく変質したように思います。
その結果が昨今の食を巡る問題の頻発ではないでしょうか。
一時期、「食育」という言葉が流行しました。
もちろん今もよく使われますが、もしかすると、いまの「食育」は、食の安全を揺るがしている「仕事観」「食事観」の文化の延長にあるかもしれません。
生きるという、大きな流れの中で、「食」は考えていくことが大切です。
食は決して、工業的産業の対象ではありません。
工業的な発想での食は、餌でしかありません。
食を支える農や漁業も同じです。
そろそろ産業や経済のあり方を、生命の視点で問い直していく時期ではないかと思います。
今回の事故米・汚染米事件は、それを警告してくれているように思います。
| 固定リンク
「経済時評」カテゴリの記事
- ■政治とお金の問題の立て方(2024.02.02)
- ■デヴィッド・ハーヴェイの『反資本主義』をお薦めします(2024.01.18)
- ■一条真也さんの「資本主義の次に来る世界」紹介(2023.12.14)
- ■資本主義社会の次の社会(2023.10.10)
- ■「資本主義の次に来る世界」(2023.07.24)
コメント